※629ブログ、また来年!
629ブログは、また来年の走り出しまでバイバイ。これからの188情報は、188WORKSや188NEWSにてお楽しみください。
629ブログは、また来年の走り出しまでバイバイ。これからの188情報は、188WORKSや188NEWSにてお楽しみください。
明日からやっとお盆休みだ。本日、最後の最後までまたまたてつくんとりかどんがずっと助けてくれて、ふう、なんとか休み前の仕事を片付けることができたけど・・・ふう、前半線ひとまず終了・・・。よくがんばった。よくがんばってくれたとおもう。
しんどかったとおもうねん、本当に。629やって、神戸コレクションやって、オーサカキングやって、雅叙園やって、ひょうごやって・・・最後らへんはみんなおかしなってたねえ。お弁当タイムにマジカルバナナとかやってるし、あたしと学さんは全身あっちむいてほい!とかやって、腹よじれるぐらい笑ってるし。でもね、究極にしんどいときの乗り越え方を、本当に、私たちは大事にしてきた自信があるねん。ま、てゆうか、しんどいと基本的に思ってなくて、仕事はぜんぶ、楽しいねん。好きな人と、好きなことをやってるんだから、楽しいねん。それから、人を楽しませる、わくわくさせる仕事をしてるんやから、つくる人がわくわくしてないと、そんなもん伝わるかいな、っちゅうはなしでしょう。理想論におもう人はおもえばいいけど、きっと私はずっと仕事を楽しくないと思ったことがないし。楽しくかえるチカラがクリエーターのちからだと思っているし。で、同時に、環境、仕事環境をつくるのもそれぞれのチカラだと思うから。そうだね、しんどいときこそ、うーん、しんどいけど、ここはみんな落ち着いて、楽しくやっていきましょね、と629前にやっぱりてつくんがそういってくれたり、リカが毎日、お茶どうぞ、クッキーどうぞ、と心を和ましてくれるのも、もうすっかりなくちゃならないものになっている。私は、チームの仕事がやっぱり大好きで、チームの力を信じることが、私のおしごとでもあるしね。いろんなことを思ったり、考えたりする毎日だけど。でも、ちょっとそれぞれの負担がきつすぎた毎日だったから、ちょっと休もうね。ゆっくり休んで、またパワー出していこうね、って思う。気づいてやれないことたくさんあるんだろうけど。私も頭と体ゆっくり休めながら、また次に向かう準備をしておくよ。ありがとう&おつかれさま。
3年前の立ち上げ時からお仕事としてかかわっているMBSのオーサカキングが本日、最終日を迎えた。なんやかんやと現場にいけてなかったので夕方からのんびりと会場に向かった。これも新しい祭りの形だと考えれば、因島の祭りを2回、大阪の天神祭り1回、そしてこのオーサカキングをあわせてすでに4回も今年は祭りにかかわっていることになる。徹底的なプラスのエネルギーが激流のように私に押し寄せてくる。頭のなかで、家のなかで、机のうえで・・・いつのまにかくぐもっていた思考が、どば~っと外に押し出されていくような太陽エネルギー。ああ、そうかあ。岡本太郎さんの言葉にあったなあ。太陽エネルギー、それは与えっぱなしのエネルギー、芸術は与えっぱなしのエネルギー、見返りはもとめないものだと。女も与えっぱなしのエネルギー、それは無償で、さわると熱い。祭りはつくるものだ。踊る阿呆でもなくて、見る阿呆でもなくて、たぶん私はつくる阿呆になるのが好きみたい。年中舞台やら、イベントやら、コンサートやら、そういうものにかかわってきて、やっぱり、つくる阿呆なのだね。きっと。そして、夏。夏を恐れているんかなあ。夏の個展をひとつ飛ばしたのが、なにか私を駆り立てているような気もしているのだけど。でもこのしつこいほどに重なる夏の強烈なエネルギーのなかに身を置いて、自分を、無理からにでもはじけさせてみようと思ってるのは、なにかの必然があるようで。オレスカバンド・・・やったかな、女子高生のスカのバンド、かわくてかっこよかったなあ。気持ちよかったわア。ほんで、やっぱ、人に何かを伝えようとする人は、人の数倍数十倍ものエネルギーをもってなきゃだめだ。瞬間的にでもいい。数十倍ものエネルギーを瞬間的に伝えるために、普段ボロボロかもしれないんやけど、それでも、ステージに立とうとするものはそーでなきゃならん。と思う。いつも、629を手伝ってくれる劇団ファントマのA氏が、オーサカキングのメインステージの、これまたメインの司会というか盛り上げる中心的キャラクターとして、今日は最後までステージを盛り上げていて。おおお、がんばっとるなあ、とうれしくおもう。昨日も、この前も、夜おそくにうちの会社に来て、自分の劇団のチラシづくりをしていたとおもっていたのに、連日、こんなステージでがんばっていたのねえ、と。人を巻き込むパワー、人を盛り上げるパワー。ゼロか、それ以上ぐらいの、受身で前のめりなお客さんやら、そうでない人を、笑顔に変えていくチカラ。自分の中で、ゆっくりと連日、ふつふつといろんなテーマが動いていくのを感じる。まとまってないけれど、それは、確実に、こころのなかでふつふつとしていて、よい感じだ。
打ちましょ、パンパン
もひとつせ、パンパン
祝うて三度、パパンパン!!
あたしはこの天神祭の船渡御で、胸に晒しをまいて白い浴衣を着て、上記の「大阪〆」をやることに異様に憧れがある。今日は、天神祭。ここ数年、参加してなかったのだけど、広告業界の親分たちが大切に育ててきた[遊創衆]という御船にのらないか?というか、いっしょに盛り上げていかないか?というお誘いを受けて、久しぶりにお船にのった。うーん、前にのったのは、10年ぐらい前やろか。午後から、浴衣班として、川沿いのロケバスに乗り込んだ女性陣。私以外はみんな着付けができる。ぐえ~かっこいい。私はせめて受付係を手伝おうと、「はい、着付け料1000円です~」みたいなことをやっていた。6時前に終わって、いよいよ乗船。おいしいお弁当をいただく。ゆるりと出発。船のへさきあたりの特等席で、まりことのんびり、このお船の上でなにができるかな~って想像を膨らませる。私は昔から、[遊創衆]では、まりこの結婚式をやりたいのよ、といってきたはずなんだけどね。ま、これも案からはずれてはいないけど。
ゲストやったら誰よぶ?うーん、ウルフルズやな。 わ、ルートあるで。 わ、まじ? いけるんちゃう?
いっとこ。 うん、いまからゆーといたらいけるんちゃう。ええなあ、ウルフルズ、ここで、ええねん、大阪がええねん、天神祭りがええねん~とかやりたいなあ。わあ、ええなあ~・・・みたいな話。あとで考えたら、木村さん(木村充揮)とかもええなあ、と思ったけど。ここは、同世代ウルフルズでいっときたい、と夢ひろがる。モリサワのたけしさんと、さて、どうするべ、来年よお~って話をしながら、まあ、白ワインでも飲もうよ、のんびり飲んでる。BGMはシニアバンドのみなさん。うーん、シニアだ!!!年齢層あがってるねえ。この船の主催者しんふねさんと少し話す。俺はね、この船が18年間、ここまでそだってきてくれてうれしいんよ、こんなにみんなよろこんでくれてね。500万出しても、この船を続けたる!!って奴がでてきてほしいなあ、とおもうんよ。もちろん当分は俺らがバックアップしていくけどね。でも、若い世代に少しずつ交代しながら、この船、かわいがっていってほしいんよ・・・。うんうん、ようわかる。しんふねさん、ようわかるでえ。ゆうてるうちに、モリサワのたけしさんがなにしゃべっとんねん、こっちきて踊らんかい!と盛り上げてくる。盛り上げていかな、と自分から思える人にしばらくあってないなあ、と思ったりして。そやな、いっとかなあかんな、と心地よい使命感。しんのすけさんも、すてきな浴衣モデル並みのいでたちで、初乗船らしい。ええもんやねえ、のってみなわからんねえ。 しんのすけさんもいつのまにかオーダイアナ~って踊ってはるし。吉村さんには、学はきてないんか?学にいうてくれや、学に乗ってもらわなあかん、学らが盛りあげていってくれなあかんねん。わしらみんな願ってるんや~、いっしょに乗ってた奴、さいきんはみんな降りてもうた。昔はアートの関係者がみんなわ~って乗ってる船やったやん。で、それをもっかいやらなあかんねん。しょぼくしたらあかんねんて。せやから、学に乗ってくれ、ゆうてくれ。学といっしょにこの船、もっかいやってくれや。 そやね。 学さんが、船のへさきに、大きな龍を発泡スチロールで彫って乗せてたころのバルカはそりゃかっこよかったねえ。ACに入社したばかりの私は、会社で、夜な夜な龍を彫ってる人がいてはる、ときいて、へんなの~と思ってた。でも、お祭りになると仕事はおいといて、お祭りのことがみんなのファーストプライオリティになる感覚。あの感覚が素敵やな、と思う。しんのすけさんもゆうてはった。この、でかい提灯に、学の絵なんかが描かれてあったら、かっこええやろな。そういうのみたいなあ。 そやねえ。 やりたいねえ。 ゆうてるまにまたまたモリサワたけしさん。みかちゃん、やろな、来年は俺らがやろな。 なんだか今日はたくさんの人に、たくさんのことを受け継がさせていただいたような気分になった。先週末の田舎の夏祭りしかり。私は、お祭りの傍観者はあわないので、どうせやるならお祭りの真ん中にいたい方なので、なぜかそれはどうしようもなく・・・それで、こんな素敵な場があるというなら、やっぱり縁というか、うーん、そうだな、ここちよい使命感なのです。伝えていく、伝わっていく、受け継いでいく、受け継がれていく、そういうものが希薄になっているいま、そうだなあ、私自身もやっぱり伝えようとしても無理だったことやら、間違っていたことやら、やりきれていないことがたくさんあるなか、こうやって629をやりながら、もっと歴史ある大阪のアホでどやんちゃなおっちゃんたちが愛してやまないアート界の文化をまりこや私が受けついでゆくのは、すごい勉強になるなあ。とも感じて。人の作った流れにのるのは普段はあまりしないんだけど、なんていうかな、親の世代の気持ちをぐっと受け止めていきたいな、と思えるようになってんのね。そういう年齢なのかしらん。ああ、今週末はまた田舎の祭りだ。私の地、地べたのやさしさのある風景が、いま、ちょうど半々ぐらいで大阪と因島に存在しているのかもしれないね。週末は、小さいころからあこがれていたお神輿の担ぎ手たちのお手伝い隊だ。もう昔みたいに海に船を投げ入れたりしないらしく、それはちょっと寂しいけどね。家におみこしがやってくる、あのうれしさ、おとーちゃんのうれしそうな顔を私はちゃんと夏の記憶として残したいなあと思うのよ。「わしが3歳のときにのお、この家にお神輿がきたときがあってのお、そのときに親父が出兵したんじゃ。それっきり、もどってきてないんよ。・・・あ、すまん。わしの歴史の話なんかいらんわのお、もう今日は寝るど。おやすみ」・・・・といった父。 そうなんかあ、父ちゃんの父ちゃんはおみこしが来た日に、この家を出て行って、かえってきてないんかあ。そしたら、今回、かえってきてくれとるかもしれんね。
いろんな思いが交差して。
夏のお祭りの記憶が私の中で、過去のものとしてではなく
これから作っていくものとして動き始めている。
しらんで、来年の629!!
そういえば、まだぜんぜんゴールドフィンガーズのライブ白陰~について、ここで触れていなかった。当日の日記は疲れすぎてアップできていない。今回は初めて、私もオープニングのコトバの映像を即興でやらせてもらえることになっていたので、傍観者ではなく、主催者でもなく、出演者だった。
この、コトバの即興タイポというのは、3年前のフェスティバルゲート ブリッジでの629で、コータローが考案し、はじめてやらせてもらったもの。ようするに、私がこうやってワープロにむかって綴る言葉を、誤変換OK、誤読OK、打ち間違え大いにOKを前提で、そのまま映像として映し出すものだ。完成品ではなく、その、過程が、そのままライブとなる。プロとしては、気恥ずかしい裏の裏の作業を見せることになるのだが、私からすれば、本当はこうやってワープロに向かって、誤変換を楽しみながらコトバを綴っていく作業がいちばん面白いわけで、それをそのまま見せてくれる方法があるというなら、興味深い。前回のライブでかなり味を閉めたが、その後、誰もやりましょーよ~なんて話もとくになく、今回の三村プロデューサーの、「みかちゃんも、やってな。たのしみにしてるで」・・・のコトバまで封印されていた。白陰・・・白い陰、私は円筒形の映像をキャンバスに、オープニングのわずか5分間なんだけど、コトバを綴った・・・実は、誤変換OKといいながら、本当に手が震えて、最初の最初はなんにも打てなかった。何度、白い、白い、と打っても、ひろし、しろひ、しほい・・・となってしまって・・・・うわ、まず~~~、これは簿記検定のときの計算機以上に緊張してるであたし~となって・・・・わちゃわちゃやったわけですが、す~っと、白い陰の・・・と言葉が生まれはじめると、あとは、すんなりとなにか、夏の魂のようなものと交信している気分になって楽しめた気がする。
白い陰のなかに
私は、生きてる
白い光のなかで
私は、私を、見失っていた
ひんやり、つめたい、白い 陰のなかに
私はまるくなる
スイカみたいにごろんとまるくうずくまる
いつからあたし
光をこわがるようになったんだろう
いつからあたし
闇をここちよくおもうようになったんだろう
やめてやめてやめてやめて
あたし死んでしまった?
あたし死んでしまった?
もう、眠る?
もう、眠る?
うと、うと、うとうと、とうとう うと うと う
みたいなこと。夏の陰。
ぜんぜん関係ないけれど、ここ数日ずっと漫画「DETH NOTE」を読んでいる。映画の宣伝でみたときから、うわ、すげ~ストーリーおもしれ~って思ってて、まんちゃんにきいたら、「ぜんぶあるよ」とのこと。さすが元祖おたく。漫画人生。「でも、もうすぐ終わるから全部そろってから読んだほうがいい」ということで、おあずけだったんですが、里帰りからもどってきたら、こたつの机のうえにで~んと、「DETH NOTE]がつまれていた。おおおお、解禁!!わあああ、1ページ目から入りすぎ、あたし・・・って感じで、いま、勝手にブームである。世間からしたら、かなり遅めらしいが・・・。で、漫画のなかにでてくる、死神リュークの顔をみてると、私にはめちゃくちゃ学&鉄秀の合作「キマイラ」に見えてきて、ああ、629からそろそろ1ヶ月がたつなあ、と、遠い昔を眺めるように思うのである。
10メートルもあるビッグスケールの絵を描くには、圧倒的な技術力、緻密な構成力、そしてひつこさ・・・が必要だ。「鉄秀と俺やねんから、カッコええのんできるにきまってるやんか~」と涼しい顔して、毎日お絵かきに出かけた学さん。(いまは、DETH NOTEに夢中で私を追い越してもう10巻目) 今回の629は、大型作品、ということにある意味こだわりをもったのは、そういう、圧倒的な力、ごまかせないパワーみたいなものに挑戦する必要があったからだ。鉄秀が、打ち合わせのときにようゆうてたなあ。「どんなことが背景にあっても、圧倒的な一瞬があったら、すべてがOKになるねん!!せやから、俺らはその、圧倒的な一瞬をなにがなんでもつくらなあかんねん」って。
629を続けていくには難しいことがいっぱい。でも、鉄秀がいうように、圧倒的な一瞬をつくれたのなら、浪速恋しぐれな女たちは胸を高鳴らせるし、ヤンキー文化の男たちは血が騒ぎ出すのじゃろうよ。今の188は、ちょっと現実。くらくらしそうな太陽のもと、がっつり仕事をこなして。ほんで休みには、自分をゆるめて。でも、おいしいものをみんなでよく食べてるねえ、このごろ。ま、じっと、次の一手を考えているってかんじ。キマイラくんは倉庫のなかで、一息、ついているだろうか。おいおい、ニューヨークぐらいつれてっておくれよ~と次なる出番を待ってるころだろうか。そだねえ、ニューヨークぐらい、つれてったりたいよね。
629はアーティストだけのものじゃない。おまつりを盛りあげるのは、いつだってビールと美味しい料理たちなのだ。で、その美味しい手づくり料理をつくっているのが、表にこそ出ないが、かわいいかわいいキッチンスタジアムの面々。今回は、188とアサヒ精版でおおきく役割分担をした。作品展示は188、パーティはアサヒ、ってことで。
ほんでパーティに関して、協力なサポーターnananyの黒チャン&ゲンチャンと、写真作家であるが客商売にやたら通じているなべちゃん、そして料理チーフとしてCHIE&HIROKOに入ってもらって打ち合わせをした。展示のチカラもそうだけど、629はあたたかいホスピタリティが命。あたたかいおもてなしができたらいいな。みんなで盛り上がれたらいいな。とはいえ、人を巻き込むことに本当に自信がなかったから、言い出しにくかったし、ちょっとこれでもかなり引っ込み思案でいた。これまでは、やっぱ、かなりゴーインにお願いしていたなあ、とやっぱ反省したりもした。ちょっとずつ、今の私が変えていけることといったら・・・うーん・・・できるだけ、丁寧に人と接することかなあ。ちゃんと話すこと、ちゃんと目をみて話し合うこと、気持ちを伝え合うこと、ためないこと。ま、そんなあたりまえが忙しさを理由にできてなかったのは駄目ぴょこりんなのである。ゴーインなお願いにもかかわらず、時間をつくってくれて、そして精神的にもいっぱい助けてくれたnananyくんには本当に感謝している。そして、「やっぱりみんなでわ~っと盛り上がるといいねえ~」といつも助けてくれるCHIE&HIRO姉妹。梅雨の時期の629の朝、「晴れたよ!!!!みんなの思いが通じて、晴れたよ!!と電話してくれたCHIEちゃんの声。200本ものプレゼント用ビスコッティを丁寧に焼いてくれた~。ジャパンの味、ってことで、イタリアの伝統菓子に、山椒・梅・緑茶・・・・・・・をブレンドしたビスコッティは、妹のHIROちゃんのイラストをあわせたかわいいパッケージにドレスアップして、会場のお客さんひとりひとりにプレゼントされたのじゃよ。北口家のキッチンスタジアムには、朝からHIROちゃんが手伝いにきてくれて、それから、万里子の旧友NORIちゃんが仕事を抜け出してきてくれて、それからCHIEが揚物あげたるで~~~と来てくれて、美香ママは大助かり。意外に余裕もって629を迎えることができました。当日スタッフとして、元アサヒセイハンのゆうひちゃんも、なんと会社を休んできてくれた~。すげえ~。写真家の本田かなちゃんなんて、設置はもちろん、キッチンスタッフとしてもいつもがんばってもりあげてくれる。で、みんなでおそろいのTシャツを着て、わ~い、祭りだ~がんばろ~ね~という空気。これだけで、充分楽しかったりする。うーん、抜け目は・・・いっぱいあるんだろうけど。全てをふっとばす、すてきな瞬間があればやっていけるのだ、と私は思うのだけど、うーん、でも、迷惑かけてるとこはいっぱいあるんだろな。でも、キッチンスタジアムが賑やかになって、いつものよーに、キーマカレーやら、春巻きやら、サラダやらがわ~っとできて、わ~っとなくなっていくのは楽しい。だから、またやっちゃう。新しくなったキッチンスタジアムの、うれしい初夏。
629が終わるのを待ってました、といわんばかりに仕事に追われている188である。人数のめっきりすくなくなった188を守ってくれているのはまさにこの二人、てつくんとりかどんなのである。てつくんとりかどんは、入社時期は違えど、二人とも「629」をきっかけに188の扉を叩いてくれたという共通項がある。てつくんにとっては4回目、りかどんにとっては1回目の629。
いやあ、忙しかったにゃあ。たいへんやったなあ。打ち上げでのりかどんの一言・・・「てつさんが・・・恐かったです・・・」。そうだなあ、恐かったなあ。いろんなことの優先順位もわからんままにあれよこれよそれよどれよと、本当によく動いてくれたもんだと感謝している。こんなにも巨大な展覧会をこんなにも少ないコアメンバーで、仕事もしながら、なんとかまわしてやろうやい、というのだから、身のほど知らずとは188のこと。でもね、みんなでやろうね、みんなであそぶことが大事なんだよね、忙しくてちょっとしか手伝えない人がいたって、たとえば、お揃いのTシャツ着るだけでもたのしいじゃないですかあ、それが629なんじゃないですか?アサヒのみんなと、仕事でもさいきんはあえないし、せめて629でいっしょにあそびたいじゃないですか、そういうのが、629じゃないんですか?と、てつくんがずっといってくれてて。そうだなあ、お揃いのTシャツというのは、それだけでも気分が高揚する。お祭感がある。なんだか、特別な思い出がそこに生まれる。そうか、そうなんだよね。って。思う。 もう、1週間もたてば、どこか幻の日々のような気がしてしまうんだけど、もう、私たちは次に向かっているし、なんらか、年中、大なり小なりのイベントに向かって走っているのは、悪くない。きっと、あの達成感が大好きなんだろね。 きょうは学さんがおいしーもんを食べにいったから、てつくんとりかどんをつれて紅蘭で、1年ぶりの今年の初中華れーめん。あたし、ひとりだけ、ちょいビール。
ゴールドフィンガーズのライブに出演していただいた大駱駝鑑の舞師・向 雲太郎さんから、今日、ハガキが届いた。629、たのしかったぜ~という内容なのだけど、なんていうか、場所はちがえど、同じように見世物をつくっている人ならではの、思いがそこに詰まってて、雲太郎さんともっと近づけたような気になった。とくにうれしかったのは、「最近では、大駱駝鑑でもやらなくなった大入り配りで、美香さんのいろんな思いが伝わって、たくさんの人のことがわかってよかったです」といってもらったこと。私、大入り配りにすごい憧れてたんよね。どうしても芝居の仕事が多いから、芝居の打ち上げの最後に、大入り配りするときに、〇〇さん!!とひとりひとりの名前とその人の知られざる努力やがんばってくれたことをみんなに感謝を込めてつたえる、あの儀式!!今年のはじめごろやったかなあ・・・他の舞台の打ち上げで、私の大好きな、女の大先輩がいて、彼女が声を嗄らしながら、大入り配りをやっててね、「ああ、私はまた、自分の場所でこれがやりたいねん。せやから、629やりたいねん」って思ってたんやっけ。そんなこんなの背景含めて、雲太郎さんが見ててくれたんやなあ、と。短い間やけど、見ててくれたんやなあ、と。ごめんね、でも、忙しくて雲太郎さんせっかくきて下さったのに、ゆっくりお構いもできなくて。前日に、みんなでカレーとサラダをだだだ~っとつくって食べたのが精いっぱいだったのに、それ、美味しかった美味しかった~って笑ってくれて。雲太郎さんが私の作品をみた感想を最後に描いてくれた。
最初はこわいコトバを書く人やなあ。
そんでもってちょっとエッチか。
そのうちあったかくて、やさしくて、そんなコトバでした。
と。それから、もっとうれしかったのが、わたしに礼を言わないで下さい。仲間のつもりでいますので、といってもらえたこと。そうだね。仲間なんだから、ありがとうより、次もいっしょに、がんばってこー!
ゴールドフィンガーズ『白陰』~のゲストに来てくださった、ソプラノ歌手・深川和美さんのブログ『本日休演』にて、彼女の当日の歌姫としての心境が綴られています・・。6月30日と、7月1日の日記をごらんください。白い狐?白い幽霊に変身した和美チャンは妖艶やったなあ・・・
ええ声~のおかけんた、さん。実はこの方、もう何年も629にいらしてくださっています。お忙しい方なのに丁寧に足を運んでくださるのは本当に感謝です。で、彼のブログにも629のことが書かれているということで、のぞいてみますと・・・・おかけんたさんってすごくアートに造詣が深いのね。まるで美術ライターよろしく、たくさんの展覧会を本当にこまめにチェックしてらっしゃる・・・すごい!!!一度、ブログをのぞいてみてください。おもしろいです。
http://okakenta.com/blog/archives/2006/07/project_629_06.html
もと「ぴあ」のアート覧を担当されていた美術ライター小吹さんが、ご自身のブログで629のことを紹介してくださった。4日間しかない展覧会なのに丁寧に見てくださり、こんな風に取り上げていただけるなんて、とてもうれしく思う。よかったら、ぜひ、ごらんくださいませ。
小吹隆文の、関西・アート・見聞
http://www.recommend.ecnet.jp/20060630project629.html
優作とは、カメラマン伊東俊介&かおり夫婦に生まれたばかりの赤ちゃんだ。
優作がとうとう生まれました、と俊介からメールをもらったとき、
私はなぜか、自分のほんまの甥っ子が生まれたときと同じような気持ちになって、
涙がじんわり、あれ、あたしなんで、じんわりしてんだろ、と思うぐらい、うれしかった。
優作は、わたしが小倉智昭さんの撮影&取材でお台場にいったときに、そのとき泊まった高級ホテルのなかで逢ったのがはじめて。優作は、かおりさんのお腹にやってきたばかりで、
「みかさん、わたし、子供ができてん」・・・・。ふわ。うそ・・・。なんとも、不思議な感覚だったのを昨日のことのように覚えている。それから、優作は、かおりさんのお腹を元気に蹴るようになって、
クリスマスにはたくさんの家族写真を撮ったりして、みんなから「はやく出ておいで~」と声を掛けられた。
そして、もう半年が経って、クリスマスに撮影した写真がずら~っとCASOの壁をそれはあたたかい笑顔で埋め尽くしてくれて、最終日の7月2日に、優作はやっと私たちの前に姿を見せてくれた。
小さい、小さい、宝物が、しゅんちゃんとかおりちゃんのまんなかでキラキラ光っていた。
大きな家族のなかに生まれてきたなあ~。
優作を抱っこした私の写真を、しゅんちゃんが1枚撮ってくれた。
10ねんぶりに逢っただろうか。
わたしは彼女の泣き虫な姿しかしらなくて、彼女がなんだか立派にもう30才も越えていることが
信じられないでいた。彼女と私は、私がはじめて学さんにであったプロダクションの同期入社。
わたしがコピーライターの先輩につれられて、その会社のなかを挨拶まわりしてたとき、
おなじように彼女は学さんのとなりにちょこんと座ってて、互いに、はじめまして、と挨拶をした。
彼女は私を、「みかり~~~~~~~ん」といつも呼んでて、
互いにデザイン業界1年生の悩みをわかちあった。そういう時代。
その頃の学さんはいまよりずっと厳しくて、恐くて、すぐ泣く彼女に、「泣くな!!!!」と
よく怒っていた。わたしは、入社してはじめての挨拶ハガキを彼女にデザインしてもらった。
キャッチは、「この女、新発売」
明朝体のでかい文字だ。彼女はそのキャッチに、女の骨盤のグラフィックをつけてくれた。
おどろおどろしいデザインが気に入って、私は、学さんや、その彼女のセンスに憧れていたものだ。
いま、私の古いファイルのなかにまだそのハガキはあるのだけど。
あれから10年以上がたつ。彼女とは、ずっと音信不通で、元気でデザインかイラストをやってたら、
どっかで逢うだろうと思いながら、ときどきネットで名前検索とかしてた。でも、名前は出てこなくて。
で、629だ。
「みかり~~~~~~~~~~~~~~ん」
いま、彼女は画廊で働いているという。美術をずっとやってるという。
元気で、そして、好きな道でがんばってたら、
こんな風にまたいつか逢える。
元気でいれば、いや、生きてさえいれば、どっかでまた逢える。
20代前半のかわいい女の子から、629終わってメールが届いた。
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みかさんのコトバの映像をみて、
胸がちくちく、きゅんきゅんとなって、CASOを出てから、
大阪港の海をぼ~っとみていたんだけど、思い切ってあの晩、
逢いたい人に、逢いにいきました。(イメージ抜粋)
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海に沈めていたもの。
海が鎮めていてくれたもの。
やはり一番の事件は、アレだろう。
なんてたって、アノ人たちがやってきたのだから。そら、まずい。アレがアアシテ、アアナッテ。
そら、アレだろう。当の本人はほんとうに風邪をひいてしまって、
4日間のすべてを家で寝込んでいたというかわいそうに。
・・・こうやって私が書いていることもしらずに、今日はミナミを撮影する日だからと
うしろで時間つぶしをしてはるけど、まだ目がうつろ。風邪、うつしちゃやよ。
やっぱり、アレだな。アアユウコトは、アカンのだな。どっかで、アレがアマクなってたけど、
やっぱり、アレはアカンよな。アカラサマな、アカンタレ。
ま、笑い話ですんで上々。
コトバの力を信じたり、
コトバの力が信じられなくなったり、日々、いろいろだ。
きょうはなんだかあまりテンションが高くない。だけど、強くこころに思うことがあって、
それはなにがなんでも生き、生かすということ。
漠然としているけど今日を生き、生かすために、やっぱり笑って、やっぱり頑張って、やっぱり一生懸命もがいているということ。コトバで傷つくこともあるけど、コトバで生かされることも本当にあるから、私はそっちがわをつくるぞ、と。なにがなんでも、そうしてやるぞ、と思うこと。
負のパワーはとてもあたたかいエネルギーに必ず、変わる、変われる。
夜になって、新地のバーを出たらどしゃぶり。
ともすれば泣き崩れてしまうぎりぎり。
もういちど上を向くためのどしゃぶり。(by 雨やどり/にほんのにほい)
帰り際に、花火の音と、匂いが、した。
白い煙が、海岸通りの爽やかな風とあいまって、
ひと足はやい夏を運んできて、それから、私たちは、互いに手を大きくふりあって、別れた。
まだずっといっしょにいたい気持ちを互いに残したまま手をふるのは
切ないね。でも、楽しかったね。で、またきっと、逢えるね。
629が終わって、夏がきた。
そう。これから。これからなのだ。もう終わりだと思っているでしょう?冗談じゃない、
まっさかりの夏をつくるのだ。
晴れました!629!ふう、疲れた・・・来場いただいたみなさん、本当にありがとうございました。
海岸通りギャラリーの海風は、思い通り・・・いや、思った以上にうれしい夕涼みとなり、やはり大きなハコでやるのは、たのしいなあ、うれしいなあ、と思ったのです。
大きなハコのなにがすごいか・・・それは、ひとりじゃできないところがすごい。本当に、ひとりじゃむりなんです。ひとりじゃないから、ひとりじゃないことがもっと実感できるから、みんなでやるのはたのしい。(ああ、あまり思考能力なし・・・文章がまとまらんです) 表側にみえる人の何倍もの数、みえないところで支えてくれてるスタッフがいて、ありがとうね・・・。海岸通りの夕涼みビール・・・美味しかった。イメージ以上に、みんなのところに晴れた空がやってきてくれて、月は極細のみかづき。すっとかっこよかった。(あかん、文章まとまらん)
ってことで。夜中の188。追い詰められた仕事に半分もどりながら、学さんと今日の反省会。
みか「きょう、うれしかったことは?」
がく「鉄秀の絵が売れた!!!!これはうれしいなあ!!あとねえ、ナベとか俊介とか、今日はいきいきしとったなあ。作品のよしあし以上に、やってみることの大事さを感じてくれたのがうれしい。これをみにきた若い子らは、文句なしにつくるたのしさ、わかってくれるんちゃうかな?」
みか「ああ、つくるたのしさな。学さんはどんなしんどいときでも、たのし~~~!!って叫びながら、ホンマにたのしんでつくってるもんなあ」
がく「たぶんねえ、できたときの喜びを、めちゃしってるねん」
みか「今回の合作は、できるかどうかわからない作品だったよね」
がく「ああ、それでいうと、どんな絵になるかはわからんけど、つくっていく過程では、心配はしてないねん。絶対、大丈夫だと思ってる」
みか「でも、鉄秀さんなんか、けっこう途中ぱにくったりするじゃん」
がく「・・・ああ、それは、おやつみたいなもんで。鉄秀と俺が合作するんだから、下手なものはできませんという根拠のない自信があるわけよ。だから、鉄秀が騒いでも、俺はぜんぜん平気。どないかなるやろって感じ」
みか「でっかい場所でできたのはどやった?」
がく「そら、最高や。NYいったとき、みたやんか。最低でも、あれぐらいのサイズやったやん。描いているときは、分解して描いてるから、完成品をみたのはギャラリーにはいってが初めてやってん。せやから、鉄秀も、俺も、おおおお、かっこええ~っと・・・うれしかったなあ。まあ、完璧なコンビなんじゃないかねえ?」
みか「1日のライブもいっぱいきてくれはったらいいね」
がく「おう、まかしとけ!!」
ぐううう ぐうううう ぐうううううううううううううううううううううううううう
「
とうとうきょうは朝から搬入だ。とうとう629が今年もはじまる。
朝方まで作品づくりをしていたまんちゃんもがくさんも9時すぎには会社を出て、
もう大阪港だよん、と電話してきた。すげえ。私はまだおうち。
事務所にて留守番をしながら、チケット予約の電話対応などをする。でも、だんだん
行きたいなあ行きたいなあ、と思うようになってきて、夕方から、りーと交代。現場に向かう。
まず、目に飛び込んできたのは、しゅんちゃんの作品。おおおおおお、すげえ。
みたかった。これがみたかったのよ、しゅんちゃんあたしは!!!と大大大のブラボーを送った。
しゅんちゃんだけが予定通りの時間に作品をあげ、しかも、短時間で設置できたという
作品も行いもよろしい!!ってことで通知簿は満点。しかし・・・巨大な場所があるということは
人をこんなにもワクワクさせるんやね。たいへんなことも多いけど、やっぱ、
こんだけの巨大な場で、巨大な作品がどどどっとあると本当に気持ちがいい。直前になって
また作品に触発されているわたし。がくさん&鉄秀も、やっと大作を展示することが出来、
子供みたいな笑顔になってはしゃいでいる。はあ、よかった。彼らが満足してくれたら、それだけで
629をやってよかった~とおもえる。しんどいけど、おもしろい。
188に帰ってきて、みかママ社員食堂、本日のメニューはチキンカレー。だだだ~~~っと大量に
つくって、「りか~~~てつお~~~がくさん~~~~ごやんやでええええええ!!!!」
ゴールドフィンガーズ ライブチケットは、
6月26日(月)を持ちまして、ネット販売を終了いたしました。
ただし、まだ若干お席の余裕がございますので、
観覧ご希望の方は、下記アドレスまでお問合せください。
629ticket@188.jp (※6月30日(金)24時まで対応可能)
□6月29日(木)、30日(金)は、PROJECT629会場(CASO)内でも、
チケットを前売販売します。こちらで直接お求めいただくことも可能です。
学さんの絵の仕上げ工程。水貼り、といって、和紙に書きあがった絵を、板に貼り付ける作業をきょうは朝からお手伝い。のつもりで、7時に起きたのだけど、映像づくりでへとへとになったまんちゃんが早朝7時半にあがってきたので朝ごはんを食べさせたら、ばたんきゅー。続いて、8時になったら学さんがあがってきて、みそ汁ののこりを食べさせたら、ばたんきゅー。とあって、はりきって起きた私は、ただの朝飯給仕係にすぎなくなり、せっかくなのでゆっくりお風呂に入りなおすことにした。そんなこんなで、水貼りは、夜のお仕事となった。
このお手伝いははじめて、とあって、てんで要領がわからない。でも、こんな私でもいないよりはマシらしく、「水」、「棒」、「テープ」、「持て!」、「降ろして」、「水」・・・といった指令に、どうしようもなくどんくさく対応して、学さんをいらだたせる。普段、後輩たちに、仕事は自分で見つけるものよ、とか、自分で考えて行動しなさい、とかさんざんいってるくせに、自分のどんくささがたまらない。おろおろして、カニさん歩きステップを踏んでいるだけ、みたい。それでも、なんとか、数枚の水貼りがおわった。へえ、和紙に墨で描いた絵って、こんなにびしょびしょに濡らしても、にじんだりしないんだねえ~とか、基本的な感動を覚えながら、まあ、たいしてつかいものにならないアシスタントは学さんの作業だけをしっかり頭で記憶していった。それにしても、プロ仕事は気持ちいいねえ。かっこいいね。これまた、こんな瞬間があるから、しんどくてもやめられなかったりするのだけど。まあ、実際のところ、629どころではない仕事も押しよせて、時間と人手がいくらあってもたりないような状況だ。それでも、朝、テツオが、「こんな状況ですが、あんまり切迫しないで、穏やかにやっていきましょね!」と大人っぽいことをいってくれたので、そうだなあ、と思って、よし、ママがお昼ご飯をつくっちゃるぞ!のごとく、豆ごはんとみそ汁、そしてブタ肉のいためものなんかをささっとこしらえて、188的わが家のランチタイムをほっこりと行ったりした。明日から、搬入。苦しい顔していたら、バチがあたるね。だって、楽しいことを、みんなで楽しくつくりあげようとしてるんだから。
土曜日。629の準備もピークである・・・にもかかわらず、私は身体が起きてくれなくて、数日前の徹夜と精神的疲労からここ数日ずっと身体が起きてくれない。だるくて、ぱっとしなくて、ぼけ~っとしている。頭をくるくる回さなきゃいけないのにベッドでいつまでもうだうだと寝返りを打っている。今日はそのピークだった。朝風呂にはいってもなお、ネム気はつづくし、だるさは残るし。しゃんぷーした濡れ髪をタオルでまいたまま、またベッドに沈み込んでしまった。万里子のでんわで起されて、そっちはどう?というと、なにか同じような身体の状況だった。ふんばりがきかない。そんな危機感を感じながらも、7時からは作家さんたちがやってきて629の最終会議。
作品展示についてと全体の進行などをあらためて話す日となった。特に今回は、写真家さんたちの力には期待したいものだ。5名ものすてきな写真家さんが勢ぞろいするのだから。とはいえ、みなさんもうほぼ完成しましたか???の問いに・・・あと70%はこれから、という方もいらして・・・おおおお、ふんばっておくんなまし!!たのんます、という状況。ま、どたんば強しの大阪人。森さんが、200枚も写真を焼くつもりだといってくださって、ひじょうにうれしくおもう。って、こんな夜中になってやっと頭が起きてきた。ずっと今日は頭痛だ。
ぎゃあああ、血が出た。かあちゃん、痛い、赤チンぬって。ズキズキズキズキ、ドクドクドクドク。きゃあああああ、血が出てる。いやん、はじめてなの、優しくしてね。ズキズキズキズキ、ドキドキドキドキ。あああ、血が、ぐあああああああ、血が。出る。出る。出せ。出したら。出すぎ。出まくりぃいいい。血はまわる。血はたぎる。血は命をかけめぐる。身体を、わたしの。身体を、あなたの。ね、血、出てる?ちゃんと血、まわってる?・・・ってことで、629BLOOD。受け継がれ、受け継いでゆく、血。日本に生まれたアーティストが生まれた血に誇りを持ち、世界に紹介したいほどの日本を描く、6度目のPROJECT629。私たちは血のぼった脳味噌のまま突ッ走ることを否定しない。すってん転んで、血、ダラダラ流したなら美味しそうにねぶってあげる。ヨクガンバッタネ、ヨクガンバッタネ。血は血を愛し、血は花となり、あなたの胸に還ってく。さあ、もっと血を見ようか。もっと血と血合わそうか。ジャパンの血から。性懲りもなく濃く粘る、愛しいほどに湧き出でる、私の中の。ぎゃあああ、血が出た。かあちゃん、痛い、赤チンぬって。
・・・・・もっと、まじめにかいてください。といわれたので、自己ボツ><・・・・・・・・しゅん
案内状が届いたからと、
なつかしい人から携帯の着信があって。
わあ、どうしてましたか。お電話いただけてとてもうれしいです、と
話していると電話の向こうの声がなんだか、うわずっていて、
ちょっと聞え難く、どうしましたか?あれ、聞えていますか?と訪ねると
うれしくて。すみません、届いた手紙に添えてくださったメッセージを読んで、
涙が止まらないのです、と、
電話の主はギリギリの小さな声を発した。
それから、元気ですか。みかさんも、がくさんも、元気ですか。
本当に元気ですか?と。それは小さな、小さな、途切れそうな声でしたので、
無理しなくていいから、どうか、ゆっくりと。パーティなんて人も多いし、
それは無理してこなくていいから、平日の静かな時間にでも、いらしてください。
と、話した。
ただ、1通でも。
それがあなたの心に届いたのなら。
629で私が本当にやりたかったことが叶ったような気がして、
いまとてもうれしい気持ちでいる。「みかさん!俺の写真よ~やく動き出しましたぁ!」
・・・写真家・渡邉一生氏から待ちに待ったメールがきた。
今回の出展作家のなかではいちばんの若手。かなりのプレッシャーを背負っての作品づくり。しかし、予定していた日程を過ぎても連絡があまりにも来なくて、うーむ、忙しさだけは言い訳にしてほしくないな、と思いながら待ってみようと思っていた。「どう? 悩んでない?」・・・短めのメールを送った。「・・・はっきりいって悩んでおります!!!」と返ってきた。悩んでいるのなら、OK!と思った。ただ、青い鳥は探し回ってもみつからなくて、もう充分に20数年生きてきた自分のなかにあるのだ。私がてんでダメなときにそれは先輩が教えてくれたものだったから、それを彼に伝えたくて、何度かやりとりをした。「くそおおおお、俺の青い鳥はどこで飲んでやがるんだ!!!!」・・・。「がはははは。いいねえ。色っぽいねえ、その言葉!!」 そんなこんなで数日が過ぎてった。先週末だったかな、メールを開くと「みかさん!!俺の写真、やっと動き出しましたあああああ!!!ああ~~~待たせてすんませんんん」・・・そして、今日、その写真が私の目の前にやってきた。「待たせてゴメン」。の、先にこんなにすてきな瞬間があるなら女はいくらでも待つなあ、と思うのだ。私が629で本当につくりたかったものは、目に見えないこんな時間だ。普段の仕事や遊びの中では絶対にできない、こんな時間の深まりと重なりだ。それはきっと私自身に、学さんや森さん、ギャラリー夢雲の山脇さんなどの大先輩がたっぷりとかけてくれたとても大切な時間の密度で、後輩に伝えてゆきたい私の思う「ステキさ」、なのだ。
信じていたものが手の中からボロボロとこぼれて落ちていった冬の先に、
「待たせてゴメン」・・・。初夏を迎えたこの頃になって、
まったく勇気がもてなかった私も私のなかの青い鳥に出会えたような、
そんな気がして。とても嬉しい気持ちでいる。
日曜日。サッカーで沸く世の中に、188では絶賛封筒入れ作業が行われました。今年の広報リーダーは福本桂子さん。新人の福本さんは、しっかりものですが、うっかりものでもありまして、みんなに教えを請いながら、一生懸命がんばりました。
その数なんと2000通以上。これは629史上最強の数。今日はてくさんも元気にてつだってくれたりして。ガツガツはかどりましたぞよ。夜は、一段落してみんなで野菜スープごはんとサッカー観戦。なんにしても、“盛り上がってる”感じはきもちいいね。6月という季節は、じめじめだったり、むわ~っと夏前のエネルギーが沸いてきたりする両方の季節なのかもね。今年の夏はどんなんだろ。維新派の子たちのアンケートをみてると、ハレンチな夏を!というコメントがあって、おお、ハレンチっていいじゃん、と想った。はじけてるかんじで、夏の能天気さ、暑さでとちくるって、理性と知性の両方がぶっとんだかんじの、ハレンチな夏もいいじゃん、と想ったのであります。どうしてんだろ、夏。ともあれ、のりきらなければ・・・。
やっと、629の名簿整理がおわり、今日は土曜日だけどみんなで出社して、封入作業が行われた。かつらこリーダーを中心に、りかどん、三村さんまで手を貸してくださっている。およそ2000通ほどの、巨大規模の案内状が、いろんな人の手を渡り、1通の封書になってもうすぐあなたのところに届く。
思いをこめて、1通1通封入していく作業はとても大切な作業。明日は、ここにお手紙を添えていくつもり。だって、トップクリエーターの学さんやテッシューは今日も必死で筆を走らせているし、写真家たちは、悩みながら最後の仕上げにかかっているし。その思いは、裏方である私たちが、届けなければ届かないのだ。毎年思うのだけど、表舞台と裏舞台の力はほんとうに50-50。届けなければ届かない。が、届かないものはどうやって届けても届かないわけで、届くものをつくらなければならなく、届くものを届ける力が、あわさらなければ、つまり、あなたには逢えないのだ。
いま、維新派の夏公演「ナツノトビラ」のパンフレット編集をしている。3年前の629のフェスティバルゲートで共演させてもらった維新派の音楽家・内橋和久さんはいま、ウィーンに住んでいて、その彼にメールインタビューをさせてもらった。「海外の人々に、維新派はどのように映るのか」・・・という問いに、「海外でも維新派は維新派。変わらないよ。ただ、圧倒的に違うのは観客だ。日本人は、知ってるから観にいくという感覚が強いでしょう。海外の人は、知らないから観にいくんだよね。」 ダキソフォンという世界にも数台しかない楽器をあやつって奇怪な(聞いたことも無い)音を奏でる彼のまわりには、終演後、たくさんの客があつまり、たくさんの質問を投げかけてくるという。知らないから、観にいく。そういえば、そうなのかもしれない。私も含め、日本人はまだまだ知らないものに消極的であり保守的かもしれない。私だって、知ってるから観にいく、一人かもしれない。知らないから、知りたいから、触れてみる。見たこともないものをつくる、似てないものを生み出す、比べるものがみあたらない存在となる。
維新派の稽古を3時間見学して、それから、学さんたちのお絵かきのアトリエ。知らないものを今日はずっとみていた。頭の中に宇宙がある人。その愛しい宇宙の生物を、ブラックホールを、火の玉を、私ものぞいてみたいと思うのだ。
雨を嫌いな人が多いのでしょうか。
晴れをのぞむ人のための天気予報に思えます。
朝から、雨。
バラバラと、雨。
雨戸閉めて、この世に二人。
この詩は、前半、母の言葉だ。後半はあたしの創作。
今日は雨。朝から、バラバラと雨。こころを落ち着かせてくれる雨。
どこにもいかなくていいよ、と雨。
雨、好きよん。
維新派に出逢ったのは、憂歌団の木村さんのライブやったなあ。
学さんが木村さんの仕事やりたくてずっとライブかよってて、ほんで、その現場で、
M放送のプロデューサーに出逢って、維新派やってくれへん?って。そんな偶然から
はじまったんやったよなあ。
でも、私の出番はずっとなくて、学さんのオマケのような存在で
ずっといたんやけど、『水街』という作品のパンフを編集さしてもうて、そっから、身も心も維新派に
どっぷりつかって、A3横長100ページという巨大パンフをつくったんやったなあ。
冬やったり、夏やったり、維新派の季節というものがあって、秋口や春先の匂いを感じたら、
なんかわくわくして、維新派の季節やなあ、と思いながら南港を歩いたものです。
犬島や室生村、という日本でも珍しい場所でやるようになってからは、仕事をほっぽりだして、
わざわざ毎週のように遠くまでかよったなあ。維新派の季節は、ものづくりの原点みたいところで、
で、きょう、久しぶりに、その維新派の季節にいってみようと思ったの。
ブラジルとかメキシコとか、ココ最近、海外公演がつづいていたので、編集デザインの活躍の場が
なかったのだけど、今回は、日本公演。梅田藝術劇場、ってことで。パンフ制作の依頼が
やってきたのです。自然にね、わくわくとアイデアがわきあがってくるのです。もりもりと、
盛り上がってくるのです。パンフの形態が決まって、ページネーションちまちまと書いたり消したり。
たのしいな、うれしいな。維新派の現場は、谷町線の終点あたりの、工場街。
ヒールつきのサンダルで行くべき場所ではないとわかってたんやけど、足がいたいいいいい。
行ってみたら、懐かしい維新派の空気だ。メンバーはいっぱい変わっていたけど、
ペンキや新聞紙や、ボンドやら、木屑がまってて、業務用扇風機がぶおおおおんん。
いいねえ、きもちいいねえ。時間がないとか、いいわけしてる暇があったら、手を動かして、
小道具のひとつでもつくれよな、って気分になるね。
維新派の季節。それとおなじように、629の季節というものがあって、
むわっと汗ばんできた風のなかで、私たちは、私たちの季節を濃ゆく、刻んでゆけたらと
思うのです。通り過ぎてく季節ではなくて、暑くてたまらなかったり、
苦しくてたまらなかったり、ハッピーでたまらなかったり・・・そういう季節の記憶を。
六耀舎さんが出版している建築系の新雑誌「meme」の、今回の特集が、「人の力がつくる、大阪空間」ということで、その一部に、“クリエーターが仕掛けた空間”というページがあるらしく、WOMBがとりあげられることになりました。WOMBとしては、はじめての雑誌掲載。がくさんと私が、代表で取材されることになって、ライターさんやカメラマンさんと遊びながらいろいろ話をして、写真を撮ってもらいました。昼間に撮影にきてくださったのだけど、「ここは夜のほうが面白いよ~」ってことで、夜にもういっかい来てもらいました。夜のミナミにぼわ~んと明かりがつくのはうれしいねえ。なんと、この坂町にもうすぐ3件目のギャラリーができるらしく、かのこさんとうちと、もう1こ。もうちょっと先にも1つギャラリーがあるらしく、なんかわからんけど、坂町がしずかにアートな空間になっているって不思議やなあ・・・。
☆空間の新しい発見を考察する<ミーム>meme
☆掲載ページ 75ページ
~水野真澄さんが撮影してくれました!!~※写真は雑誌をデジカメでぱしゃ。
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この世にただ一人しかいない
かけがえのないあなたから
この世にただ一人しかいない俺への
ただ一行の<愛しています>
使える!と俺は思った
滲んだ六つのペン書き文字をスキャンして
キャンペーンのキャッチにデザインして
広告の大きな賞を取った
・・・そしてあなたはただ一人ではなくなり
俺もただ一人ではなくなり
百万もの人波に埋もれ
俺たちはたがいを見失った
魂からじかに生まれて
あなたの声はあたたかかった
あなたの文字は少しぎこちなかった
せめぎあう豊かな感情を秘めて
一人から一人へと
まっすぐに向けられたコトバの力が
すべてのコトバの力のみなもと
ありふれた別れのあとでそのことを知った
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(谷川俊太郎/広告:「ことばエネルギー」より)
きのうは、629のスタッフ会議。今回は、ゴールドフィンガーズのメンバーを全面に前に打ち出していこうということもあり、そのプロデューサーである三村さんとも深く、関わることになった。とはいえ、三村さんとは、初年の629のブルーナイル時代からお世話になっており、あの頃、こんなことになるとは想像もしなかったのだけど、縁はめぐって、なぜか毎日逢っている状況だ。まあ、この風貌のとおり、胡散臭いおにいちゃんである。アート関係のパーティなどにいくと、ことさら派手さは増し、白いテンガロンに、金色のビスをいっぱい打ち付けたぎらぎらしたスーツみたいなのんきてあわられたりする方・・・恐そうにみえるけどね、本当に人がいいんです。頭いいし。彼がいなきゃ、ゴールドフィンガーズは成り立たない。
「みかちゃん、なんでもいうてな。できることやるで!!」と、
へこたれていた私に、さらっといってくれたことが629をやる大きな自信になったことは
いうまでもない。こうやって、もういちど、人の側面を垣間見たり、やっぱりみんなでやるのはいいなと
思ったり、そういうことが629だ。苦しいけど、やっぱり笑顔があふれる629だ。
夕方、シゴトでとつぜん接写レンズがいることになって、
昔の接写レンズをひっぱりだしたのだけど、デジタルのEOS KISSと連動しなくて
あらあら困ったなあ、ということになって、テツオがビッグカメラで買ってくることになった。
プロ使用ってわけでもないので安いのんでまにあわせればいいなあ、と思ってたが、
一応、機材隊長の社長まんちゃんに相談しないわけにはいかなく、電話をしたら、
ニコニコとしたご機嫌な声がかえってきた。
「僕がいってこようか?」
「いや、哲男がいくって」
「哲男にいかしたら、何を買うかわからない!」
「あほ。まんちゃんにいかした方が、何を買うかわからんわ!」
かくして。千日前の買い物王、今日もビッグカメラでお買い物!!
日本語のうつくしさ、日本語のリズム、日本語の情感のゆたかさ、を
綴る試み。題して「にほんのにほひ」が、私の今回の629での挑戦なのです。
「美香ちゃんの作品には、海と月がたくさんでてくるね」と、歌姫・深川和美がいってくれて、
そういえば、そうだなあ、と思ったことを思い出して、「海や「月」のでてくる言葉、
これに加えて、大好きな「雨」、ひとり旅をイメージさせる「風」、女の強さをあらわす「花」の、
5つの章をもうけて、言葉を編集していった。もちろん新作も半分以上を占める。
さてと。ここ数日は、どこまでねばり、どこで区切りをつけるか・・・の段階になっていたのだけれど、
今朝の段階で、自分でOKを出し、イメージ画像をつくりながら反芻してみた。よし。
今、学さんにタイポグラフィをつくってもらっている。
ひさしぶりのタイポグラフィ。ここのところ手書きやったからね。
同じ言葉がまた、ぜんぜん違う表情を見せてくれる。
強かったり、生意気だったり、でしゃばったり、澄ましたりしながら、
私の言葉が、私から旅立っていく。
写真家の今田クンは、わたしと同い年。
写真家の今田クンは、2児のパパ。
写真家の今田クンは、いまだに、あいかわらず。
写真家の今田クンは、昔から、いまだ、いまだ、と思っているのかいないのか。
ブログのトップにある、BLOODな赤は、
そんな今田くんの、作品の一部。デス。
コピーライターの一番弟子!
マユミちゃんが
ひさしぶりに188にやってきた。
広島のしかも備後出身、コピーライター志望、デザートづくりが好き、という共通要素をもつ私とマユミは、629になると、とち狂ったように、マンゴープリンをつくったものだ。
黒門市場で、4ダースほど仕入れて、2晩ほどかけてマンゴーの皮をむく。本番前日は当然、夜通しでマンゴーに生クリームとゼラチンをあわせて、プリンにしあげていった。
巨大な樽みたいなのんで、冷やし固めたこともあったなあ。とにかく、200人分は最低つくろうぜ、と必死だった。だから、いまも、マンゴープリンの皮をむくと、「あ、629の匂い」・・・と思うのだ。
キッチンスタッフは今では、ずいぶん変わった。代替わりした。マユミは、その初期メンバーのひとりだ。今年から、ふるさと福山にUターンして、ゆっくりと地に足をつけた彼女。私が唯一できなかった、「ふるさとにかえって、生きてみる」を実行してくれたことには、とにかく感謝している。大阪で私がマユミに「おかえり」といい、広島でマユミが私に、「おかえりなさい」と笑ってくれる。新しい、マユミと私がスタートした。
「みかさん、629、手伝えますよ。大丈夫です!!」
「まじで?スペイン行くんちゃうかったん?」
「ふふふ。ちょうど26日に戻るんですよお」
「じゃ、久しぶりに、マンゴープリン200人分つくりますか!!」
「はい!!!」
きょうから、1980年代生まれのアーティスト展が10回にわたってWOMBで開かれる。
1980年代生まれ、とは、いまの20代らへんだ。うちのテツくんやリカちゃんも1980年代生まれ。
キュレーターを目指しているこれまた1980年代のTちゃんと知り合って、そういうのやってみる気ない?ってことで、10回にわたる1980年代のひとり展が実現したのだ。おととい、その搬入と下打ち合わせみたいなのをしてて、ざわざわとサポートスタッフの人たちもやってきてWOMBがうれしそうに灯りをともした。
第一回目と第二回目がこれまた、こんなキャッチフレーズで紹介される。「牛乳を腐らせる女と、ゴキブリ男」・・・ぞぞ・・・とする人もたぶんいるし、むり、っておもう人もいるだろう。でも、そのフレーズをきいて、作家・水川千春(牛乳の方の・・・)は、「わあ・・・なんだか、映画のタイトルみたいですてきですねえ」とニコニコしている。ほお・・・
私はたぶん彼らから、忘れかけていたものをたくさん学ぶんじゃないかな。
それでも言葉の力を信じている、という朝日新聞のCMは久しぶりにいいなあ、と勇気付けられています。いまのヴァージョンは、言葉は力、言葉は救い、言葉は打算、言葉は勇気、言葉は夢、言葉は希望・・・みたいにいろんなタイプの人が、言葉は・・・に答えているやつ。
数年前に、コピーライターの中畑さんの全集がでたときに、大阪のコピーライター児島令子さんが、帯に、「それでもコピーの力を信じている良い子へ」というコピーを書いていて、「21世紀もコピーで行くぞ、みたいなことを書いていて、それで、軽いヴィジュアルやポップなロゴタイプ流行の世の中だったので、その本をみて私は涙がでそうになってて、言葉の先輩にずいぶん励まされた。
それから、谷川俊太郎さんのネスカフェの朝のリレーの詩、なんかが登場したりして、世の中は少しゆったりと言葉を読む時間をもたなきゃね、って気風にもなって、広告の世界にも少しだけ、言葉がもどってきたような気がしていた。(が、実際にはまだまだ)。コピー全盛期の頃は、ボディコピーのうまさが、コピーライターのうまさだったようにおもうのだけど。私は、好きなコピーライターのボディコピーをノートに書き写して、その呼吸をあますとこなく盗んでやれとおもっていたものだ。
言葉でずっとやってきて、言葉の力を信じてきたはずの私は、ここ数年、あなたの言葉は信じられないとかおもわれたりいわれたりすることが多発して、言葉がかけなくなったり、言葉がまったくつたわらなかったり、誤解ばかりだったりして、どうも、言葉が駄目駄目になってしまったりしていた。
そんなときにみたのが、朝日新聞のCMだったのかな。ま、児島令子さんの真似じゃん、ってぐらいにおもってはいたが、内容には共感していた。それでも・・・の、それでも・・・に、それぞれがどんな、それでも、の理由があるのかはしらないけど、私の場合も、やっぱり、それでも言葉の力を信じたいのだ。言葉は・・・私だったらなんて答えるだろう。言葉は・・・言葉は。。。
言葉は、光。
きょうはゴールドフィンガーズのみんなといっしょにCASOにロケハン。
ゴールドフィンガーズの三人は、三国志のキャラクターにそっくりといわれていて、わたしはあまりしらないのだけど、頭脳のヒトと、感性のヒトと、調和のヒト・・・みたいな感じのが、よいバランスで成立してるらしいのだ。現場であれこれうちあわせしている彼らをみていると本当に子供みたいで、でも、その三国志とやらに似ている感じはよくわかる。5月末に、彼らは上海のでかいギャラリーにロケハンにいくことになっている。10月に展覧会が決まっているのだ。今回の629は、その上海公演のプレビュー公演となる。CASOならではの立地を生かした、いままでにない舞台をつくろうと考えている。こんなことをしていると楽しくて時間がいくらあってもたりない。
今回の629では、5名の骨太な写真家に登場していただくつもり。理由は、やっぱり写真が好きだから。私、村上が写真フェチになったきっかけは写真集・藤原新也「少年の港」をみてからかな。山口の先にある九州の入り口、門司港あたりが藤原さんのふるさとで、その波やら岸壁やらもやい綱やらおばあさんやら散髪屋やら野球場やらじいさんやら雑草やら商店街やらを撮っているもの。因島によう似とるなあ、ときっと思ったんだろうね。真似をしたくなって、一眼レフに白黒フィルムをつめて、私も帰省するたびに似たような写真を撮って紙焼きするようになった。じいちゃんやら父ちゃんやらばあちゃんやらかあちゃんやら海やら裏のたまねぎやら五右衛門やら・・・。
それから写真集や写真展にすごく行くようになった。アンセルアダムスのヨセミテ渓谷の写真とか、圧倒されるほどに美しいモノクロームの紙焼きがあって、なんだか、そんなんが大好きだったなあとなつかしいぐらいに思うから、あの、一期一会の写真に出逢いたくて私の大好きな、写真家さんに「うっとりするぐらいの紙焼きがみたい」・・・と作品展示をお願いした。
夕方、最後に声をかけた作家・今田修二さんが、「ちょっと撮ってみたので、みてほしい」と188WOMBにやってきた。学さんと私は、わくわくしながら写真を手にとった。
・・・・・「よし、第二弾のチラシのヴィジュアルはこれでいこう!!」 「うん、いい!」
ジャパン・ブラッドがこうやって少しずつ産まれている。
にっくき蚊が活動を開始して、夜に何度もおきて、蚊取線香に火をつけた。
もう夏がくるのね。629の季節だもの、もう夏がくるのね。
朝方。しらじらと開けていくのが、こんなビルの谷間からでもわかる。地下のバーで飲んでほんで外にでたときのぼんやりとした眩しさを少し思い出す。ここんとこそういう飲み方あまりしてへんな。まったりとした朝のあけぼのに、学さんがお絵かきをはじめるので、ぼけ~っとみてることにして、私も作品をつろうとおもって、ぼけ~っと白い箱のなかで創造をめぐらせる。学さんは、3メートルぐらいの和紙に巨大なおんなのひとのハダカをかいている。胸やら指やらが、ジュエリーみたいにトゲトゲとしてゴージャスな感じ。やがて、雨が降ってきて、しっとりと降ってきて、また、ぼけ~っとみていたら、ざあざあになって、ああ、雨がふっていますのできょうはよい気分。だけど、おかあちゃんがいまはスイカの交配のために晴れて欲しいと願っているので、晴れを願うことにする。しばらく、ワープロの前でカチャカチャしていると、「キッチンにおく、植物をつくったよ」といって、学さんが苔をガラスにつめたかわいい鉢をくれたので、キッチンにみずみずしいオアシスが生まれた。
きょうは風の通りがいい。こころの通りがいい。
「世界中のプラスのカードをすべて集めたような、イベントにしたい」・・・と、仕事先のプロデューサは目を輝かせてはなしてくれた。プラスのカード・・・かあ。いいね、プラスのカード、ぜんぶ集めましょうよ。夢の場所をつくるのですから、プラスのカード、それだけでいいんです。そのかわり、とびっきりのプラスのカードを集めるのです。
629も、プラスのカードだ、と思うのです。
どこまでプラスのカードを出しきれるか、ですね。とびっきりのプラスのカードを集めなくては・・・!きょうは、ゴールドフィンガーズの面々と急遽打ち合わせがはじまり、会場の悪条件をどないカバーしていくかが、話し合われた。マイナスかと思われたスタートは、あれよあれよという間に、プラスに展示、アイデアが増し、重なり、はじめに生まれたマイナス条件が、いつのまにか、プラスのカードの必然になっていた。すごい力やなあ~これって・・・と思うのです。クリエイティブってこういうことなんかもしれんなあ。ころころと重なり、膨らんでいく新企画。わたしをわくわくさせてくれる、ちから。マイナスのカードは、自分の中でいくらでも葬れるからね。
プラスのカードをつくるのだ。
コトバだけの短編映画をつくってみようかと、思っているのじゃ。頭のなかで行ったりきたりしていた構想が、ぴた~っとひとつにまとまって、おとといの晩から鮮明にイメージが広がり、いま、半年ぶりにコトバがみなぎっている。なんだか書けなかったからなあ、ここんところ。思いはあるのだけど、弱っていたからコトバが強がろうとするねん。コトバがいつも以上にあまのじゃくになるねん。
でも、春の芽がでて、桜がことしも強く咲いて、風が初夏の匂いを運んできて、おうちがきれいになって、心がすっきりとクリアになってきて、また私はコトバと遊びたくてしかたなくなったのじゃ。衝動を昇華させて、普遍なものにする。そんな作業をするためには、ちょうどいいといえるテンションかもしれん。生傷のままじゃ、痛すぎるし、かわいた傷では、痛くもないし。
心に風がす~っと通るようになったこの頃なのかもしれない。
10年前はどこにいてなにをしていたか?
10年前のわたしは、上新庄に住み、江戸堀のAZでシゴトをしていた。
10年前の仕事仲間は、学さんの他、けんちゃん、おかやん、たっちゃん。
10年前に結婚したのは、まんちゃん。
10年前に結婚式にきてもらっていまも仲良しなのは、まりこ。
10年前の結婚式二次会にきてもらって今も仕事してるのは、M放送のHさん。
10年前の千日前にはまだアサノおばあちゃんが住んでいたから、
10年前の結婚後はいきなり別居生活。
10年前のシゴトは、「1万人の第九」のCDづくり。
10年前によく飲みに言っていたフラミンゴカフェ、ロケーション、キクソ。
10年前に聴いていたのは、有山じゅんじ、あずみけいこ。
10年変わらないもの。10年ですっかり変わってしまったもの。そのたぶんわずかな差はどこにあるのだろう。縁とは、思いの深さ。
10年目の春。キッチンをリフォームして、まんちゃんと私はランチに焼肉を食べ、丸福珈琲でミルク珈琲。
リカは、19才のおわりの冬、188に電話してきた。
二度ほど私の不在をつげられ、三度目の正直か、五番の運命かどうかはわかんないけど、ミカとリカはつながった。
「金沢のデザイン専門学校をもうすぐ卒業するということ」
「そこは、英語でデザインを教える学校だということ」
「金沢はすごく寒いこと」
「188に就職したいということ」
「でも、会社の名でなく、自分の名でシゴトがしたいということ」
「もうすぐ20才になること」
私はまだ、偶然は必然だということを江原さんや三輪さんのように語るつもりはない。が、縁とは“思いの深さ”だと思う。リカは私と出会いたがっていた。いや、私がリカと出会いたがっていたのかもしれない。私たちは、ある日曜日、ちょうどいいのでゴールドフィンガーズのライブ会場で待ち合わせることにした。リカは、リクルートスーツを着て、黒いパンプスを履いていた。まったく、場に似合わないいでたち。「面接なので・・・」というリカに、「誰が面接するゆうてん。遊びにおいでゆうただけやろ」と苦笑する私。私たちはライブを見て、丸福珈琲で話し、事務所で天むすとお茶を飲み、夜にちょうど余ってたチケットで芝居を見に行った。野田MAPのゲネ。
「和食をつくるのが好きなこと」
「中学校のときからTシャツに絵をかいていたこと」
「実家は、大阪にあること」
お母さんがいくつなのかだけが聞けなかったのだけど・・・笑。
私はリカと本当に出逢いたがっているのだろうか。
リカは私と本当に出逢いたがっているのだろうか。
自分の発言や行動が人の人生に大きく関係するよろこびと恐さを思い知っていたので。それで、人と出逢うのが臆病になっていた私は、ひとつひとつ確かめるように質問を繰り返した。さすがに19歳の子を最終電車までひきとめておくのは気が引けて、さんざんひっぱりまわしたあと、
別れ際にもうひとつだけ聞いた。
「あなたは泣き虫ですか?」しばらく間をおいて、リカは答えた。
「・・・泣き虫です。が、弱虫ではありません」
リカが私のひかりになってくれるような気がして、
先に私がリカのひかりになってみようかと思って、
私たちはまた会う約束をした。
リカはいつか、この日のことを忘れるかもしれない。つらくて、苦しくて、抜け出せなくて、夢がもてなくなって、ただの泣き虫になるかもしれない。だけどね、リカ。私はあなたと出逢えて、いま、本当に本当にうれしいのです。長い付き合いになるといいね。
出会いも、別れも、なんだか丸福珈琲だ。
タバコの煙のもくもくするなかで、みるく珈琲に角砂糖ひとつ。ぐるぐるかき混ぜてるうちにぐちゃぐちゃになったり、無言が続いたり、ぐるぐるかき混ぜてるだけで、ただ、冷めていったしょっぱいみるく珈琲を私は何杯も経験してきたような気がする。このあいだリカの採用を継げた丸福珈琲で、その日は、えいくんの転職の決意を聞いていた。28才でバイクの整備士から、グラフィックデザイナーに転身してきた彼が、自分にやはりもっと正直に生きていこうとするなかで、やはり、大好きなバイクの整備士にもどるという。
昔、マスターキートンという漫画があって、何巻だったかわすれたけど、因島の実家のベッドの本棚にずっとあったので、帰省するたびにその漫画をみていたのだけど、そこに、「人生はいつだってやり直せるのだよ」という言葉があったから、私は、それをずっと心に刻んでいた。自分のことをふりかえれば、23才でコピーライターの門をたたいて、25才でプロダクションに入って27才で東といっしょにデザインの会社をつくって、そしてつぶして、
32才で188を立ち上げてきたのだから。それはひとつひとつが自分の決断。
だから。だからってわけじゃないけど、
それは年齢とかじゃなくて、“思い”だ。
人生はいつだって、Aからはじめられるのだよ。
ゼロになる勇気を持ってるやつは、強い。
みるく珈琲に角砂糖ひとつ。
ぐるぐる。ぐるぐる。
ひさしぶりに腹をかかえて笑った気がする。
なにかとてもリラックスしていて、手放しで、安心しきって、目の前にあるつまらない言葉のキャッチボールに、ただ、ただ、笑いが止まらなかった。
今日は、朝からテツオとリカと学さんとマリコといっしょに、CASOにロケハン。2月頃、いきおいで予約はしたけれど、このギャラリー、本当に広いのだ。629を続けるのは、正直、もう無理かと思っていた。だけど、テツオがずっと「やりましょう。つづけましょう」と言ってくれるので、なにかまだやらなくてはいけない責任が私にはあった。やりっぱなしではいけないのだ。やりっぱなしではこれまでに助けてくれたいろんな人の思いに泥をかけることになりそうで。
最初の2〜3回は、なんでも、誰でもできるものだね。
でも、それを越えたときにホントの底力というか、意味というか、でてくるわけで。続けるってすごい。続けることは同時に、それを続けさせてもらえる環境にあるというわけで、このあいだから、まんちゃん社長とサザンの27周年のライブDVDとか観ながら話してるんだけど、続ける人がいて、続けることを望む人がいて、続けさせてくれる環境をキープしてくれるというのはそれだけで、ありがたいこと。それだけで、がんばれるということ。
「ミカちゃんが到着したら、いよいよメインイベントだ!」と電話があって、なんのことかわからないまま私は、学さんと鉄秀の待つ、北浜のギャラリーまでいそいで自転車を走らせた。いま、彼らは629に展示する大型作品を制作している。今日はその、4日目。現場には、畳6畳分ぐらいの和紙がきれいに水張りされている。いよいよ、そのメインイベントたるものが行われる様子だ。
「いったい、なに?」
学さんが夜店でよくみるヨーヨー吊のヨーヨーを取り出して、「いくよ!」という。鉄秀が「よっしゃ〜」と手を鳴らす。ヨーヨーのなかにはどうやら、薄墨が入っているらしい。さて、ついに、学さんがヨーヨーを目の前のキャンバスに投げつける。バシャーン!!ヨーヨーは勢いよく和紙の上をはじけ飛ぶ・・・・・はずだったみたいなのだが。 ボテ・・・。とてもドンくさい具合に和紙のうえに、墨の水溜りが生まれた。あたりはシーン・・・?
鉄秀が「・・・あっりゃああ?」
学さんが「・・・おりょ?」
もっぺんやってみよか。そやな。バシャーン、ボテ。
もっぺんやってみよか。こんどこそな。バシャーン、ボテテテ・・・。
昨日の実験では大成功したという墨玉投げ、という新手法が、1日たって、ヨーヨーの圧力が落ちたことにより、効果撃沈・・・。巨大キャンパスには墨の海があちこちに広がっていた。しかし、だ。彼らの目はどこか、キラキラしている。このピンチをなんとも楽しんでいる様子なのだ。「ほほう・・・」「はは〜〜ん」このカタチは、龍に見えるとか風にみえるとか、獣に見えるとかあれこれ模索しながら、構図をひねり出している。プロデューサーの三村さんが、ニコニコ近寄ってきていった。「ミカちゃん、おもろいやろ。俺、せやからこの二人をみてるの、好きやねん」
好きなことをやってるやつにはかなわない。