オーサカのまつりやで!!天神祭2006
打ちましょ、パンパン
もひとつせ、パンパン
祝うて三度、パパンパン!!
あたしはこの天神祭の船渡御で、胸に晒しをまいて白い浴衣を着て、上記の「大阪〆」をやることに異様に憧れがある。今日は、天神祭。ここ数年、参加してなかったのだけど、広告業界の親分たちが大切に育ててきた[遊創衆]という御船にのらないか?というか、いっしょに盛り上げていかないか?というお誘いを受けて、久しぶりにお船にのった。うーん、前にのったのは、10年ぐらい前やろか。午後から、浴衣班として、川沿いのロケバスに乗り込んだ女性陣。私以外はみんな着付けができる。ぐえ~かっこいい。私はせめて受付係を手伝おうと、「はい、着付け料1000円です~」みたいなことをやっていた。6時前に終わって、いよいよ乗船。おいしいお弁当をいただく。ゆるりと出発。船のへさきあたりの特等席で、まりことのんびり、このお船の上でなにができるかな~って想像を膨らませる。私は昔から、[遊創衆]では、まりこの結婚式をやりたいのよ、といってきたはずなんだけどね。ま、これも案からはずれてはいないけど。
ゲストやったら誰よぶ?うーん、ウルフルズやな。 わ、ルートあるで。 わ、まじ? いけるんちゃう?
いっとこ。 うん、いまからゆーといたらいけるんちゃう。ええなあ、ウルフルズ、ここで、ええねん、大阪がええねん、天神祭りがええねん~とかやりたいなあ。わあ、ええなあ~・・・みたいな話。あとで考えたら、木村さん(木村充揮)とかもええなあ、と思ったけど。ここは、同世代ウルフルズでいっときたい、と夢ひろがる。モリサワのたけしさんと、さて、どうするべ、来年よお~って話をしながら、まあ、白ワインでも飲もうよ、のんびり飲んでる。BGMはシニアバンドのみなさん。うーん、シニアだ!!!年齢層あがってるねえ。この船の主催者しんふねさんと少し話す。俺はね、この船が18年間、ここまでそだってきてくれてうれしいんよ、こんなにみんなよろこんでくれてね。500万出しても、この船を続けたる!!って奴がでてきてほしいなあ、とおもうんよ。もちろん当分は俺らがバックアップしていくけどね。でも、若い世代に少しずつ交代しながら、この船、かわいがっていってほしいんよ・・・。うんうん、ようわかる。しんふねさん、ようわかるでえ。ゆうてるうちに、モリサワのたけしさんがなにしゃべっとんねん、こっちきて踊らんかい!と盛り上げてくる。盛り上げていかな、と自分から思える人にしばらくあってないなあ、と思ったりして。そやな、いっとかなあかんな、と心地よい使命感。しんのすけさんも、すてきな浴衣モデル並みのいでたちで、初乗船らしい。ええもんやねえ、のってみなわからんねえ。 しんのすけさんもいつのまにかオーダイアナ~って踊ってはるし。吉村さんには、学はきてないんか?学にいうてくれや、学に乗ってもらわなあかん、学らが盛りあげていってくれなあかんねん。わしらみんな願ってるんや~、いっしょに乗ってた奴、さいきんはみんな降りてもうた。昔はアートの関係者がみんなわ~って乗ってる船やったやん。で、それをもっかいやらなあかんねん。しょぼくしたらあかんねんて。せやから、学に乗ってくれ、ゆうてくれ。学といっしょにこの船、もっかいやってくれや。 そやね。 学さんが、船のへさきに、大きな龍を発泡スチロールで彫って乗せてたころのバルカはそりゃかっこよかったねえ。ACに入社したばかりの私は、会社で、夜な夜な龍を彫ってる人がいてはる、ときいて、へんなの~と思ってた。でも、お祭りになると仕事はおいといて、お祭りのことがみんなのファーストプライオリティになる感覚。あの感覚が素敵やな、と思う。しんのすけさんもゆうてはった。この、でかい提灯に、学の絵なんかが描かれてあったら、かっこええやろな。そういうのみたいなあ。 そやねえ。 やりたいねえ。 ゆうてるまにまたまたモリサワたけしさん。みかちゃん、やろな、来年は俺らがやろな。 なんだか今日はたくさんの人に、たくさんのことを受け継がさせていただいたような気分になった。先週末の田舎の夏祭りしかり。私は、お祭りの傍観者はあわないので、どうせやるならお祭りの真ん中にいたい方なので、なぜかそれはどうしようもなく・・・それで、こんな素敵な場があるというなら、やっぱり縁というか、うーん、そうだな、ここちよい使命感なのです。伝えていく、伝わっていく、受け継いでいく、受け継がれていく、そういうものが希薄になっているいま、そうだなあ、私自身もやっぱり伝えようとしても無理だったことやら、間違っていたことやら、やりきれていないことがたくさんあるなか、こうやって629をやりながら、もっと歴史ある大阪のアホでどやんちゃなおっちゃんたちが愛してやまないアート界の文化をまりこや私が受けついでゆくのは、すごい勉強になるなあ。とも感じて。人の作った流れにのるのは普段はあまりしないんだけど、なんていうかな、親の世代の気持ちをぐっと受け止めていきたいな、と思えるようになってんのね。そういう年齢なのかしらん。ああ、今週末はまた田舎の祭りだ。私の地、地べたのやさしさのある風景が、いま、ちょうど半々ぐらいで大阪と因島に存在しているのかもしれないね。週末は、小さいころからあこがれていたお神輿の担ぎ手たちのお手伝い隊だ。もう昔みたいに海に船を投げ入れたりしないらしく、それはちょっと寂しいけどね。家におみこしがやってくる、あのうれしさ、おとーちゃんのうれしそうな顔を私はちゃんと夏の記憶として残したいなあと思うのよ。「わしが3歳のときにのお、この家にお神輿がきたときがあってのお、そのときに親父が出兵したんじゃ。それっきり、もどってきてないんよ。・・・あ、すまん。わしの歴史の話なんかいらんわのお、もう今日は寝るど。おやすみ」・・・・といった父。 そうなんかあ、父ちゃんの父ちゃんはおみこしが来た日に、この家を出て行って、かえってきてないんかあ。そしたら、今回、かえってきてくれとるかもしれんね。
いろんな思いが交差して。
夏のお祭りの記憶が私の中で、過去のものとしてではなく
これから作っていくものとして動き始めている。
しらんで、来年の629!!