ソクラテスの弁明 関西弁訳


super008『ソクラテスの弁明 関西弁訳』(PARCO出版)という本をご存知でしょうか?実はこの本、うちのダンナが和訳ならぬ関西弁訳をしたもの。哲学者やソクラテス研究家ではなく、翻訳家でもない、理数系頭脳でシステムエンジニアのダンナがなぜこんな本を手がけることになったのか。もともとはこれ、拙著・柴犬まめの本を出してくれた出版社の企画で「ソクラテスを関西弁に訳せるような人、いない?」との相談がはじまり。面白そうな企画だがネイティブ大阪人でない私には出来そうもない。それで大阪ミナミに生まれ育って48年間、この地を動いたことがないダンナに「このソクラテスの文章を大阪弁に訳したらどうなる?」と試しに数行分を訳してもらったのだが、これが手前味噌ながら絶妙な塩梅!単に面白おかしい大阪弁に変換するのではなく、背景にある思考そのものをわかりやすく慣れ親しんだコトバに置き換えてくれた。「いける!」と確信し、夫婦漫才のように翻訳作業が始まった。「ソクラテスが道頓堀で問答してるイメージ?」「大阪弁にもいろいろあるやん?」「ヨシモトのようなコテコテの大阪弁は違うよね」「生きてたら、へんこで面倒くさいオッサンやろしなぁ」「竹村健一?」「中島らも?」「もうちょい品がほしい」「あ、米朝さんにソクラテスが乗り移ったような感じ」「ええねぇ!」―――哲学って「なぜ生きるのか」「善とはどういうことか」など生きていれば誰でもぶち当たる問題を考え解くための学問。わざわざソクラテスさんに大阪弁を喋らせたのは、彼の思考を変えることなくもっと血の通った人間っぽく表現することで、近所のおっちゃんやおばちゃんにも伝わる「生きたコトバ」として蘇ってくると思ったから。結果、裁判員制度が始まった2009年の春に、古代ギリシャを生きたソクラテスじぃさん(当時70才)を道頓堀まで引っ張ってくることができた。有名な「無知の知」の部分はこう訳される。「あの人は九割方わかってるっちゅうことでわかった気になってはる。わたしはちょっとでもわからんことがあるとわかった気になられへん。ちゅうことは知らんことがあるということをわかってる分だけ、あの人よりもわたしの方が知恵があるちゅうことになるんとちゃいますか」(本文より引用)コトバからコトバに置き換えるのではなく、根本にある考え方を組み立てなおす。その作業はコンピュータプログラミングと似ているという。そういえば物事の「考え方」についてはずいぶん鍛えられてきた。まわりがどうであれ、自分の頭で考えろ。それはソクラテスに言われるまでもなくダンナから教わった揺るぎない哲学だ。

 

photo/Tokuharu Yamada(500G)

 

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