人はやっぱり、逢わな!!
夕方に、田中ちゃんことえいくんから、ケータイに電話がかかってきた。「いやあ、ちょっとご機嫌うかがいで」と・・・。お、ええねえ。用事がないのにメールや電話をもらえるのはとてもうれしい。とてもすてきなことだと思う。本日は、188のプチ社員旅行で朝から京都までおでかけして、ランチに京料理をいただき、学さんがみたがっていた伊東若沖展を堪能し、京都のイラストレーターKOBOZUさんのお寺を訪ねてイラストを発注、そして夕方は法善寺横町の串カツやさんで、新人かなちゃんの歓迎会をする、というこのハードスケジュールにおける非常に能天気でシュールな1日を過ごしていたものですから、ちょうど、「うわあ~、私、さすがにもう串カツ、ストップっす!!」と15本食べたところで、ダウン宣言したばっかりのタイミングでかかってきた、えいくんからの電話は、ご機嫌だった。(他のみんなは、32本たいらげたらしい)
えいくん、188を去ってからそういえば、1年が経つ。いや、1年以上が経つ。「いつでも遊びにきてや」と、心から思っているのにもかかわらず、なかなか、互いにタイミングがあわないのか、ゆっくり逢えていない。「いつでも遊びにきてや」を、お愛想でいう関係がこのごろ本当に嫌になっている。自分でいうときながら、いつ逢うねん、と思うこともあるし、今度メシな、といわれながら何年も経っている友だちがたくさんいるのを、それは、おもんないぜ、と思ってきているので、この頃は、会いたいときに会いたい人には会っておこう、と。そんなことを思っている。いつでもきてや、といわれたらいく。いつでもさそってな、といわれたら誘う。・・・とまあ、そんなことをおもっていても、近くまでいったからとて、なかなか、人を訪ねるのも気が引けるものだ。勇気いるしね。でも、言われたほうはうれしい。近くまできたから、とか。用はないんやけど、とか。無駄話できるって、なんとすばらしいことか。その、余白が、大切なのですな。その余白のないところで、私たちはなにをあせっているのだろうか、と思うよ。元気かな?と自分のことを思い出してもらえるその瞬間に記憶された私が、とてもくだらなく、アホなことばっかりいってわらっているときの笑顔であれたらいいなあと思います。