コトバのデグチを探る、旅♪
さらさらとからだじゅうを血がめぐるようにコトバがめぐりはじめて、ここちよい毎日になってきた。のではありますが、コトバのデグチをここのところずっとあんなかんじかなこんなかんじかなと研究しております。ここにきて、自分をゼロまで解体する、ということをやってみようかと思ったり。いままでと違う人間関係を広げてみたり、朝からペンをとりだしてキャンバスにたらたらと思い綴ってみたり。
で、「中原中也」である。彼の詩をわたしはそんなに知らないんだけど、たぶん一番有名な詩「サーカス」のなかの♪ゆや~ん、ゆよ~ん、ゆやゆよ~ん なら、ご存知の方もいるだろう。なんじゃそのオノパトペは・・・(擬音語・擬態語)と思いながらも、空中ブランコのゆれる様をあらわしたそのゆや~んは、頭にこびりついていたのです。で、で、で、その「中原中也生誕100年祭」というイベントが、彼の生誕地である山口県の湯田温泉で開かれ、そこに、友人であるソプラノシンガー深川和美が出演することになって、これまた共演するのが、やはり私の尊敬してやまない詩人・谷川俊太郎さんと、その息子さんであるピアニスト谷川賢作さんということなので、私は、GWの予定を迷わずそれにシフトした。遊びにいくというよりも、そう、コトバのデグチを探る旅、なのです。ちょっといまの自分に必要なきがして。時間をかけて、アスリートがからだをつくっていくように、私も時間をかけて、あたまとからだを準備していきたいと思っていて・・・それは忙しい毎日ではなかなかできないことでしたので・・・チャンス!!うぷ。
中原中也は、フランス語の詩の訳などもやっていたみたい。それはサビニャックの訳詩のときに、私にも経験があったもんだから、中也の訳、というものを食い入るようにみてしまった。ああ、ここまで、こんな風に飛んじゃっていいんだ。とかおもって、中也と、中也と同世代の人の訳詩の読み比べなんかに興じていた。初日の夜は、矢野顕子さんのライブだった。テーマ・コトバのデグチを探る旅、である私にとって、あらためて衝撃的なライブ!あの、めちゃくちゃにもおもえる矢野節からは、コトバがひとつのこらずきちんと丁寧につたわってくるのです。コトバが先か、メロディが先か、ピアノを押さえる指が先にあるのかわかんないです。ぜんぶぶっとばして、くちゃっとした感じ。ピアノにとけているような矢野顕子さんでありまして、矢野顕子さんにとけているピアノや指やコトバでありました。揺るぎのない自分のスタイルをみつけた人というものはこんなにも強いのか・・・強いのね、ふう、はあ、ほお・・・へえ・・・。次の日は、谷川俊太郎さんの「詩人の墓」の朗読に聞き入って・・・そして、友部正人さんの奥さんから、リアルな日常、詩人の墓なんてくそくらえ!!ってな人生論をワインとともに聞き入って・・・。私はずっと、ノートの切れ端に思いついたことをつらつらと書き綴っていた。こころがいっぱいになって、カフェに入ったり、ホテルの部屋にかえるなり、ノートをだしてつらつら、つらつら。デグチなんできっとなんでもいいんだろうし、ミバエなんでぶっとばしていいんだろうに、わたしはコトバのデグチばっかり探していて、ほんで大阪に帰ってきて、たくさん、たくさん書き綴ったキャンバスを学さんに見せたら、「きみはどこにいきたいの?」といわれて泣きそうになった。デグチなんでどーでもいいじゃん、書きたいことがすべてだろ、書きたいその内容がすべてだろ?そこをちゃんとやりなさい、と。いや・・・だから、それ、からだいっぱいつかっていまやってて、だから、それ、丁寧に思ってて・・・書きたいことがすべてだろ。伝えたいことがすべてだろ。そうやって私はまた、千日前に戻ってくるのでありました。でも、やっぱりいま、私には次の風がふいているような気がしてならない。そして、わくわくしている。