日曜日の朝からダイニングにおりて
ひんやりとした都市の空間の中で想う、能登の、のはちゃんと
十七波さんのおはなし。「い~じ~ 大波小波」
自由に。
勝手に。
好きに。
どれも憧れることばで、いまの私には、どれも誰も
反対しないでいてくれて
しかも、背中まで押してくれる優しいひとに守られていたり
する。なのに島育ちの「まっとうさ」が染みついている自分にとって
それは「憧れ」にも近い存在としてある。
何週もぐるぐるまわって「へそまがり」な人格が形成されてきたのかなと
思うけどそれもミックスしていま現在のわたしができている。
環境がひとを育てる。
育った環境。そこにいる人、そこで出会う人、時代、時間。
のはちゃんとおかーさんの、みずみずしくて奔放なものがたりを読みながら
あー「のはちゃんのマチオモイやん。マチオモイが伝えようとしてたことが
めちゃくちゃこの本には詰まってるし、それ以上に
いまの私にぐいぐい入ってくるやんー」と、いっきに読み進める。
瀬戸内よりもきっとずっと過酷な「能登半島」の遠いまちでの
出来事。遠いけど、そこにいる人の田舎独特の空気感は想像できる。
おとなの、のはちゃん。白い肌が美しい、写真家の、乃波木、という
珍しい名前の女性が、こうやって繰り返されて、愛されて、育ってきたことが
よくわかる。自分の場合はどうだろうと照らし合わせながら。
母というより、ひとりの女性「十七波」さん。
私の場合は、母というより、「しょっちゃん」といったところだろうか。
NHKの朝の連続テレビ小説「まれ」のなかで
なんとなく想像する能登のまち。因島の話をよむ誰かも、そんな風に、遠い
瀬戸内の島のくらしをおもうのかしらん。
社会に対して自分は何ができるのだろうか。といった、近年のソーシャルな動きに対して
なにかとてもGOODな動き、GOODなデザインみたいなところと違って
女性は、というか自分自身は、とてもパーソナルかものにしか心が震えないのかもなあ
とまだ、言葉がバラバラだ。感想になってないな。
昔のわたしは読書感想文が得意だったけど、本当に「感想」として書いていたかは確かでない。
ちょっと視点をずらしたところにスポットを当てることで、
「大人が100点をつける術」を知ってたような気がするから。深く感動して、感想を書いていたわけではないきがする。エジソンしかり。
ぜんぶ、じぶんで選んで決めたこと。
息苦しさも、自由さも、都会も、田舎も、楽しさも、気楽さも。
犬といるとても大切なじかんも。仕事の時間も、家族の時間も。
行かないという選択も、反対側の覚悟も。
止めないという選択も、反対側の責任も。
まあでも。
EASY で、
い~じ~
な、大波小波があるほうが
たのしいと思える性分なわけで。
のはちゃん、いい本でした。
わたしもまた書きたくなったヨ。
へんな感想文。これじゃ、賞状もらえない。w