ある一匹の柴犬が、小さな路地や夕暮れの公園、海沿いの街に迷い込むように旅する姿を、ポラロイド写真とシンプルな言葉で追いました。ページをめくるごとに、懐かしくせつない「どこでもない場所」の記憶が呼び覚まされ、誰もが、忘れかけていたやさしい気持ちや愛に気付くことでしょう。不安定な世の中を生きる現代人たちの足元に、柴犬の小さな命が純粋な目をして、無条件に生きるよろこびを語りかけます。
本書のアートディレクションは大阪在住の気鋭の絵師・東 學(画集「天妖」を2007年12月にPARCO出版より刊行)。犬ファンのみならず、写真やコトバが好きな方、そして今日を生きるすべての人に捧げたい、究極の癒し本ともいえる内容です。
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■「ぼくらは簡単なことばで出来ている」刊行によせて
最近、死ぬことをよく考えるようになった。この地上から自分がいなくなるという透明な感覚。そしてその場所からの想いというものが、自分の多くを占めるようになった。世界はすべて輝いていて、どんな汚れた過去も、未来も、その目で見ると美しい。それは不思議な幸福感で満ちていて、過ぎ去ってしまった少年期の黄金時代に再びめぐり会ったような気分になる。
2007年も暮れのある夜、學ちゃんと話をした。泣けたコマーシャルって何だった?というような話だった。私はトリスの子犬のコマーシャルの話をした。學ちゃんはパーソナルコンピューターのコマーシャルの話をしてくれた。泣ける、感動するって何だろう?それはきっと瞬間に刻まれている永遠に気付いてしまうことなのではないだろうか?違うかな?
その時、二人の中で、すべてのアイディアが形になって目の前にあった。ポラロイド写真で犬を追いかけよう、言葉はその犬が語ったり風景が語ったりするんだ、なんて。夕暮れの道をとぼとぼと帰ったいつかの自分を祝福するような一冊の本を夢見た。でも犬がいない。どうしよう?数ヵ月後、學ちゃんから電話。「可愛い仔犬がいるんだ。飼っていい?」。もちろん!
いつの間にか時が過ぎて、今、一冊の本となりつつある、この「ぼくらは簡単なことばで出来ている」を思うとき、とても変な気分になる。あの時、學ちゃんと語ったことが、魔法のように形になっているからだ。私は魔法使いになってしまったのか?それとも學ちゃんが?思ったもの、イメージしたものが不意に本になって目の前にある。ぼくらはどんな呪文を唱えたんっだっけ?
裸の愛、震えている純粋な愛がこの本の向こう側に透けて見えていればいいなと思う。どこまでいっても本は本でしかない。書店の片隅で売られているただの商品。ペットショップにいる犬のように店先に置かれた一冊の本。どうかあなたがこの小さな愛に気付いてくれますように。そして生きることは喜びであり、何の心配もいらないのだということにも。
雪の日の朝。ポラロイドを抱えて、家のまわりの枯れ木や道の写真を撮っていたら、みかちゃんから電話。その1本の電話から、また逢ったこともない、だけど名前は決まっている「柴犬まめ」と「わたし」と「みかちゃん」の新しい関係が始まりました。はじめて会った日には犬のまめよりも、人間であるわたしの方が人見知り(犬見知り?)してたかも。無条件にかわいい!と思うことが出来なかった。ポラロイドで犬を追いかけるというお題に不安と楽しみが入り混じって奇妙なかんじ・・・全部ひっくるめてまめを遠くから眺めていたように思います。日々カメラを持ってうろちょろしているわたしは、まめの目にどう映るのか。「柴犬まめ」と「わたし」と「みかちゃん」=「小さな命」と「写真」と「コトバ」のうっかりとした縁はしばらく続いていきそう。
うちのじいちゃんは無口な人です。でも、私にはとても饒舌で、もう誰も聞くこともなかろう昔の恋の話や、釣りの話、ばあちゃんの話をいつまでもしてくれました。黒門市場の買い物の途中、柴犬まめにであったとき、私はなぜか「あ、じいちゃんに似てる」と思ったのです。犬なんて、好きじゃなかった。かわいいものなんて苦手だった。だけど、じいちゃんに似てるまめは、私のつまらない自意識をぶっとばして、直球で懐に入ってきた。マチコとあちこちを散歩した。島にも帰った。見えてなかったものが日本のあちこちに落ちていた。じいちゃんが生きてるうちに、本が出来てよかった。生きているうちじゃなきゃダメだ。生きてなきゃ、ダメだ。後回しにしてきた愛をちゃんと届けることだって、まだ間に合う。
島根県生まれ。生後50日のとある雪の日、大阪はミナミの繁華街にたどり着く。
京都生まれ。作務衣に雪駄がトレードマークの絵師であり、アートディレクター。演劇の宣伝美術家としての活躍も目覚しい。大阪ミナミにあるのアトリエ在住時には、時折、柴犬まめを道頓堀やいきつけのカフェに連れ出す。その姿はまるで西郷さん・・・。
大阪生まれ大阪育ち。おばあちゃんと双子の弟、両親と暮らす。「つくることはつながること」をモットーに毎日、ポラロイドカメラを持ち歩き、花や、空や、色や、トモダチを写真に焼き付けている。雪の日は早起き、まだ見ぬ足あとのようなものを追いかける。
広島県因島生まれ。瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育つ。大阪ミナミの昭和的スナックを改造したデザインカンパニーに暮らしながら、海や、ふるさとや、女をテーマに日々ことばを紡ぐ。2008年の雪の日、黒門市場にうずくまる柴犬まめに出逢う。