PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
神様がにんげんにあたえた感情はたった2つ。
愛と、不安。
なんですって。
愛の対極にあるものが「不安」というコトバになるなんて。以外で、でも、
親しみを感じてしまった。
愛ってなんだ?その問いに対して、
わたしはいまだにしっくりくる答えを見出せていない。
「与えっぱなしのエネルギー」「それは太陽のようなもの」「見返りを求めない」
の答えは、近いと感じているのだけど。
まめ。
まめはまめを産んでくれたお母さんにたくさんの愛をもらった?
それともそんな時間は与えられなかった?
でも、まめを産んでくれたお母さんは、まめをどこかで見ていてくれるよ。
ママのところにいきなさい、と教えてくれたのもおかあさんかもしれないね。
それがしあわせかどうかはわからないけど、
わたしはまいにち、まめを産んでくれたおかあさんに、
まめをここにつれてきてくれてありがとう、と心のなかでいっています。
ふむ。我思うゆえに、我あり。
愛か不安か…
なるほどなぁ 神様はすごい
まさにそうだと思う
なにかしら不安を感じるときは
そこに愛を感じれないときだ
自分自身が感じてないか、相手にそれを感じないのか
いずれの場合も、ね
逆に愛を感じるときには
とてつもないパワーを発揮する
ひや〜 ほんまに どっちかやわ、わたし
って思ったから書いちゃいました
ひひ
ディア mario brothers さま♪
コメントありがとおお。
わたしも、まさに納得いったのですよおお。
愛がなにかはまだよく定義できないのですが、
その対極にある感情が不安だといわれたら、
その対極の意味で愛を感じられる気がしています。