PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
いちばん前のどまんなかください、と
チケット売り場で当日券を買って、早くからテントの前に並んで
どっきどきしながら見ていた舞台が
「日本三文オペラ」、京橋のダイエー裏あたりでやったやつ。
いまでもこれまでで一番の芝居は?って聞かれたら
この時のあの感覚のことを応えるんだと思う。
古田新太さんやいのうえひでのりさん、南河内の内藤さんや河野さんらがいて、
その頃のわたしはNHK文化センターというカルチャーセンターの
受付嬢をやっていた21歳の娘っ子で、
そのカルチャーセンターにアルバイトにきていた「れいちゃん」という子が
小劇団の女優をやってて、「今度、大きな芝居に出るねん」
という縁で観にいったのがはじまり。当時の関西小劇団界は扇町ミュージアムを
中心にものすごい勢いがあった。だから、「れいちゃん」がそんなすごい人たちの
中にはいっていくことが、本当にすごいと思っていたし、
「れいちゃん」のセリフは、1コだけだったけど、今でも覚えている。
「れいちゃん」に芝居が終わった後、その手書きの台本のコピーをもらって、
ずっと大事にしまっていた。冒頭のセリフはいまでも空でいえる。
それから何故か私の方がお芝居とかかわることが多くなって、
「日本三文オペラ」の再再再演ぐらいからは、パンフレットの編集まで
させてもらうようになった。
アパッチ族の話が、何で私をこんなにまでそそるんだろーってのは謎のままだけど、
さんまさんの舞台「ワルシャワの鼻」の背景もこのアパッチ部落の
話だったから、舞台で、文章の上で、パンフの中で、何度も何度も、アパッチの
やつらと対話してきた感じでいる。
正月に、
「みかさーん、三文オペラやりますよ~みにきてくださいね」
という連絡をもらった。
え、三文オペラがげいぶんで?? と思いながらの今日。
こんな思い入れたっぷりの私を満足させてもらえるのかと思いながら、
全然顔も知らないメンバーたちの芝居を観入っている私がおりました。
なつかしささえ感じる、内藤さんの群集を動かす美しくてごっちゃりとした
演出。ああ、この音楽。この歌詞。おおお、ぜんぶ歌えるじゃん、あたし。
あ、「れいちゃんのセリフ ここ」
考えてみたらはじめて、この芝居をみてから20年以上たってんのね・・・
大好きな芝居を20年後に観ているなんて想像はさすがになかった。
20年以上たって、自分のなかでまた繰りかえして思い出せるいくつかの感情やら、
あたらしい思いやら。
携帯電話をつかう、昔にはなかった演出の主人公。
アパッチ部落から一般社会に戻るときのくだりに、胸がスカッとした。
「わかりました。そのかわり、高ぅ つきまっせ」
「ど~んといったれ」
どん底を恐れない。屁でもないで、と立ち上がれるチカラに魅かれる。
あいつらには絶対になくて、私にはある、と思いたいそれはチカラだ。
覚悟しいや。
高うつきまっせ。
ど~んと
いったれ。
芝居も、音楽も、私らがやってるマチオモイみたいな展覧会も、
人の心に触れるものに、答えはいらんので、
ただ、ざわめかせるだけざわめかせればいいわけで、
その、ざわめかせかたが
胸をえぐるような、肉体的な何かであることを
今人はとても求めているような気がしている。