PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
実家の隣のおっちゃん(正確にはおじいちゃんだし、母からすれば、けんじ兄さん)
が、亡くなり、明日がお葬式ですよと
母からメールが入った。
私は、隣のおっちゃんとおばちゃんにとてもかわいがってもらって
育ったはずなのに、
隣のおっちゃんとどんな会話をしたのか、具体的にはなにも思い出せない。
晩年はじっと海を見ていた。
ゆっくりゆっくり、海辺を杖をついて歩いていた。
私が、まめを連れてかえると、まめは、おっちゃんに向かって吠えた。
それから、まめとおっちゃんの写真を何枚か撮った。
私がまめと散歩していると、
おっちゃんの散歩にも遭遇した。
まめは、吠えたのはたぶん一番最初だけであとは、
ほいほい、と杖で遊んでもらったりしていたはず。うーんでも
正確にはあまり覚えていない。人の記憶って
そんなもんなのかな。でも、写真はあるの。明日、ひっぱりだしてみよう。
ひでこおばちゃん(おっちゃんの奥さん)
さみしなるね。
隣のおばあちゃんが亡くなったときは、
ひでこおばちゃんが、うちの家に朝やってきて、
「おばあさんが、みてた~」と伝えた。ああ、人が亡くなったとき、
「みてる」(満てる」というのかあ、と
高校生か中学生のわたしはおもったものだ。その記憶はすごくある。
けんじおっちゃんが、
今日、満てた。