PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
「ならピ」は、奈良に暮らす人をピアノで結ぶ
マチオモイなコンサートだ。普通のピアノコンサートと徹底的に違うのは
そこに「誰もがもっているピアノの思い出」が入る込める余地が
残されていること。
そういえば、
ほとんどピアノに縁などないと思っている私の家にも
おばあちゃんが買ってくれたピアノがまだある。
家を建て替えてからも、よく陽のあたる、とてもいい場所にピアノは置かれ、
おかあちゃんの「アート作品」を飾る棚と化している。
これでも小学校時代は合唱のピアノを弾いていたものだ。
「モルダウの流れ」「美しく青きドナウ」「ひとつのこと」
「校歌」「海を渡った鹿」・・・
黄バイエル以上には進まなかった程度だけど、
ピアノを弾けるのは当時の小学生女子にとってかなりのステイタスであった。
「エリーゼのために」などの名曲は、
都会からやってきた従兄弟のおねえちゃんが軽やかに弾いてくれて、
それをぼーっと見るのみ。
ピアノって高かったんだろうな・・・いまは帰省するたびに、
なぜか今でも指が覚えている「モルダウの流れ」を10分ほど弾く。
調律もできてないピアノだけど、
ゆり(姪っ子)などは、「美香姉ちゃんの曲じゃ、涙がでる」と
小さいながらそんなことをいったりして、驚く。
ピアノの練習の音と、
キッチンの包丁の音はどこかリンクして、
母と娘のかけがえのない時を思い出させるのだろう。
きょういっしょに連れてった二人、
小さい頃からピアノをやめずに今も大好きでいる大親友の
万里子と智恵子をみていると、ああ、この子たちはあんな時代から
今までやめずにきているんだとおもって、関心。
「ばあちゃん、ごめん。途中からまったく練習せんようになった」
それでもこうして、
隠居家でピアノ練習していたことを
思い出せるよ。ありがとう。