PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
この秋はあまりにもばたばたとしていて、
あなたのことをうっかり忘れていました。忘れているというのは、
もしかして幸せなことなのかもと言い訳です。
しかし、話したいこともたくさんあり、そっちに逢いにいこうと思ったのですが
あいにく明日は台風。晴れたらまたいきます。
先日、みつが手術をしました。10日ぐらいエリザベスカラーをつけて、
キズがはやくなおるように頑張りました。犬ってすごいですね。
与えられた環境に順応していく。はじめ、階段あがれなかったし、
ごはんもつっかえて食べられなかったのに、数日もすれば、感覚つかめて、
ゲージにもはいれるし階段も余裕。椅子の下で眠るし、
私のベッドにもあがってくる。不幸とか幸せだとか、そういう感情が
ないらしいのです。嬉しい、つまり、快と不快はあっても、
不幸ではない。確実に落ち込むことはあるけれどもね。まめはとくに。
人間も勉強です。教えられてばかりです。
すぐに不安になるから、何度も何度も、心の角度をかえてみて、
考え方をLIGHTにしたり、思い込みをなくしたり、何度も話し合ったり、
聞いてもらったり、頼ったり、なで続けたり。
案外、すぐに目移りして、さっきまでのこと全部どっかいって、次のなにかに
夢中になってる。必死になってる。面白がってる。
忘れちゃいけないけれど、忘れるのもステキなことだって誰かがいう。
まんちゃんのおばあちゃんのきよさんが、
案外きょうはましになっていた、という。そっちから見えますか?
おばあちゃんは行ったり来たり。半分、夢のなかと、あの世のなかと
行ったり来たりで、もう、指先とか、先っぽの機能は死んでるんだろうな、と
まんちゃん。それでもきょうは声を出そうとしていて、何をいっているか、
わからなくてもわかるかんじ。「ひろやすか、ありがとうな。さっこをたのむな。
まめちゃんとみつちゃん、おんたか? めんたか? みかちゃんきょうは?
そうか、いそがしいしてるか。ありがとうな。たのむな。たのむな」
わからなくてもおなじ。いつもおなじねがい。伝えたいこと。
最後の決断力。どの瞬間を、決断して、ひとりの女は人生を終えるのだろうかと
そんなことを考えながら30分、手を握っていて、その握力はまえより
すこし弱くなっていたと。そっちから、どう見えている?
今なのか、何を残しているのか、まだまだなのか、足りないのか、
ひとりの女のさいごらへんをじっとみている。
小さな命、無邪気な小さな命を守ろうと思うこと。1日1日に
ありがとうありがとうの連続。楽しいこといっぱい。嬉しいこといっぱい。
数年前のブログをよんだら、「愛の新人」ということばがでてきて、
まめとみつがうちにやってきた2008年に愛の新人だったのだとしたら、
6年ぐらいのキャリアはついて
きたんじゃろうか。
今夜は台風がこっちまでくるそうです。窓をしっかりしめて、
寝ます。因島のメロンが心配です。心配ばかりですね。すべての心配がなければ、楽になるけれど、心配もあり、迷惑もあり、愛もあり、
そういうことが生きているということなのでしょう。そちらからは、
どう見えますか?
犬たちの寝顔を見ながら、
幸せなんだなと思っていますよ。心から。
次の満月には愛に行かなくちゃねえ。