「まめとみつ」- コピーライター村上美香&「柴犬まめとみつ」のコトバ・グラフティ。

まめとみつ


PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。

引き際は芸術です。

橋下さんを失った大阪に
残された課題はなんだろうと考えている。
これまでこんなに、居酒屋で、晩ご飯のテーブルで、散歩道で、
政治の話などしたことがあっただろうか。
自分事として考えたことがあっただろうか。
メディアリテラシー、ニュースやひとりの男をかぎ分けるチカラを
自分に突き付けたことがあっただろうか。
20150520-yoru.jpg
散歩しながら
1日開けてどんなきぶん?と、主人に問うと
「昨日はあまりにもぼーぜんとしてしもたからなあ、
なんか疲れたわあ」との答え。
FBでいろんな人の、ぼーぜんやら、つぶやきやら、さけびやら
聞えてくる。「ひとつになる」って、コトバで簡単にかいちゃいかんね。
ああ、だからこそ理想を求める歌があるのかね。
そういう私も付け焼刃のような、勉強しかしてこなかったし、
7年間の彼の動きをみてきたわけでもない。何が変わったとか、実感したのは
堺筋線が遅くまで走るようになったことぐらい。
子どものいないうちらみたいは家庭には、教育問題とかもとくに見えてこないし、
まあ、お世話になっている市の機関がつぶれそうになったり、
そういった意見は聞こえてはきたけど、そのころは、まだそこまで自分が追いついてなかったし。
「なんせ、すでに税金を払っていない世代に、あんなに思いっきり反対されたら
若い世代はどうやってユメをみるんやろ。」
20150520-yoru2.jpg
がっかりからの脱却。でもなんか、そんな絶望感を初めて味わった大勢の大阪人は
まだ「捨てたものじゃない」ちからをもって、
残されたものの本当のちからを発揮するような気がするんですけどね。
大震災や災害のあとの街がやさしく変化していったように、
何か、どん底からのちからってものがやっとそこから浮き出してくるような気にも
なるんですけどね。残されたものとして、残していくもの、残していきたいもの・・・なんやろね、
どうですか?

2015年5月19日 08:29  |  
« もこもこわっぺん、私のん | トップページに戻る | 朝活 »
コメントを投稿


コメント


« もこもこわっぺん、私のん | トップページに戻る | 朝活 »
     

月間アーカイブ

最近のエントリー