PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
松本雄吉さん。20年間も楽しませてくださって
ありがとうございました。東も、美香も、みんなも
しあわせでした。
はじめて、松本さんとありこさんとお会いしたのは、江戸堀の事務所。
AZという若気のいたりでつくった能天気なデザイン会社でした。当時の社長は學さん。エレベーターあいたら、すぐ事務所で。
松本さんと黒髪の長い女性が入ってきて、
うわっつ、誰やろ・・・。そんなスタートだった気がします。
ロマンスのリメイクにはじまり、「南風」で本格的にデビュー。
維新派と台風はなぜかつきもので、
観劇中に大雨が劇場を押しつぶしそうになったとき、
袖から松本さんが出てきて、
「ちょっと舞台止めます。役者そのまま」
と。その後、舞台の裏方のみんなが劇場によじのぼって
屋根にたまったテントの水を落としていくのです。
ザーザー降る雨。役者そのまま。
どれぐらい経った頃かな、再会のサインがでて、
何事もなかったように、ずぶ濡れの役者は動き出した。
あの衝撃が忘れられません。
學さんは、「もう維新派のコになりなさい!」って愛想つかされるぐらい
劇場に通い詰めて、みんなにかわいがってもらって、
ゆみさんたちにごはん食べさせてもらってた。
私もあのまかない、に憧れて憧れて、食べさせレもらったときは、
維新派のコになった気分やった。
「水街」 はじめて、パンフレットの編集を任された時には、
大正区のクブンガーを調べたり、インタビューをしたり。
パンフレット撮影からして、「プール、彫ろう」という打ち合わせを
ヨコで聴いているだけでもぞぞっとした。カッコよすぎた。
そんな松本さんのカケラが、うちの事務所にもしっかり残っている。
そういう人が何千人ぐらいいるんだろうか日本で。
松本雄吉と共にひとつの時代が、
たしかに終わった。次をつくる力のあるやつが、
どれだけいるかわからないけど、そういうやつは必ずいる。
これからはあちこちで
あちこちで松本雄吉は生きる。