PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
「ミナミをなんとかしたい」という気持ちが自分のなかに本当にあるのかないのかは、よくわからん。個人的には「ミナミをひっそりとなんとかしたい」とは思っていて、ミナミで目立ちたくはないのです。マチオモイとかの動きはどうしても前に出る立場なので、底を頑張ってるわけですが。まだもうちょっとミナミとは距離を置いておきたいのが本音。でも、町内会に行くたびに「めっちゃおもろいやん、この"アカン"感じ」って思ってた。「殺人ゼロのまちに10年かけてなったんです。油断したらすぐにもとの、殺人の街に戻りますよ」という町内会長。「殺人って!!」ツッコミを入れるどころか、輪をかけて、麻薬売ってるところ、やくざの会合。そういえば、家の前に注射器転がってたことが昔はあったなあ。なんかね、昔から、わたしにはどこか吹き溜まりみたいな人や家やマチに惹かれるヘキみたいなのがあって、ぞぞっとするの。恐いのに、興味があるの。だから、本当は興味本位。本気で向き合ってるわけじゃない。でも、そうやって知っていくと何か、動きたくなる。目の前に困っている何かがあったり、人がいたりしたら、動いてまう、というおせっかいな気質は大阪のええところやもんね。だから、鳥居さんに声をかけたのは大きな一歩やった。もっと話しききたかったからね。びっくりしたよね、南小学校の生徒の4割が外国人の親ってとことか。そういうこと知らんかった。フィリピン人のコミュニティに手を差し伸べるという発想もなかったなあ。今日、聞いてきた「場づくり」のはなしのなかには、「すてきな人が集まる場がある反面、もうどうしようもない人が集まる場もまた必要」というのが出てきて(釜ヶ崎で喫茶店&ゲストハウスを開いた詩人の女性)、そりゃ、すてきを集めたいよーと思ってきたんやけど、そうじゃない部分に向き合って、場をつくる人もいてるんやなあ、と思ってん。それこそ、「鎮魂」なんちゃうかなあ。いや、自分が浮浪者集めて、カフェしたいとか、おもってるんとちゃうよ。でも、ミナミに居場所がなくなったおっちゃんら、みんな釜ヶ崎に行きつくしかなくて、そこで、先輩の詩人が、おっちゃんらにやさしいしてあげてるって知ったら、なにか地続きの責任感みたいなものを感じたんです。あ、その責任感みたいなもの、勝手な責任感ね、そういうのはまだあって、寄席小屋だらけのミナミのDNAを背負ってるとも思っているし。だから、學さんの仕事、大阪でちゃんと成功してきたんだと思う。私には因島があるからね、大阪にどっぷりってのはどこか、自分の人生の時間配分が追いつかないような気がしてるんよ。でも、今住んでいるのはここだからね、縁のあるところを楽しくしたい。「鎮魂」というテーマを鳥居さんにもらったから、それだけで十分、大きな志になっています。