PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
詩人・上田かなよさんの今。
釜ヶ崎でカフェとゲストハウスをしている。
千日前にすむ私でも、
ひとりで歩くのをためらってしまうマチだ。
でも、なぜか昔から私にはこういう場所に惹かれる。
マチオモイの会場設営で、熊本の建築チームが宿泊できる
ちょっと面白い場所を考えていて、思い立ったのがここ。
ネットで見るだけではとおもって、
下見にいってみたら、スリリングな体験の連続だった。
ああ、この場所を、かなよさんはつくり、根をはり、育てているのだ、と。
「詩のワークショップがはじまったばかり」
といわれて、なんとなくもう少しそこを見てみたいとおもって
私には本当に珍しくその場に座ってみた。
円陣のなかで、ひとりひとりが順番になにかテーマはわからないけど
話し始めている。ある程度年齢のいったおじいさんが多い。
ニコニコして声の高い老人、目のぎらっと鋭いジャージ姿の老人、
ハンチングとマフラーでちょっとおしゃれした老人、
吃音で人前でしゃべるのが苦手だという若い男性、とくに特徴はない白髪交じりのおばさん。
後からやってきた丸坊主あたまの太った男性とその母親、
「今朝、カギをなくしてしまって」
「マイナンバーカードのしまった場所がわからなくなり」
「こむらがえりがとても痛くて」
「独居老人スタイルという本を図書館で借りたのだが」
・・・なんの文脈かまったくわからないコメントが続いていく。
なんだこれは。ただ、居心地が不思議と悪くない。
割烹着姿のかなよさんが天使のような存在に見える。
私はいち、参加者ではなく、あざといまでの取材者だった。
それでもからだとこころが「そこにいたほうがおもしりそうだ」をかぎ取っていた。
かなよさんの目に、この人たちは、どんなふうに写っているのか。
私は、人を見た目で判断してしまう。いや、見た目である程度判断してしまわないひとなんか
いるのだろうか、よかれわるかれ・・・友だちになりたいひと、話してみたい人、
かかわりたくないタイプの人、絶対に避けてとおってしまうひと、
コトバ道やら、道徳上ではそうだ。そんなことはなく、すべての人は兄弟になる、だ。
ベートーヴェンも言っているし、ジョンレノンもいってるし、私も書く。
でも、現実はどうか。千日前にゴミを捨てに来るおっさんと友達になれるか、といえば
違う。まあ、それは極端な例かもしれないけれども。正直違うところもあるよね。
かなよさんにも、もしかしたら、まめにも、人はもっと単なる人で、
純粋な生き物としてそこにただあるのかもしれない。
一様に頼りなく、やさしさがあり、キズを負いやすく、激しい怒りを持っている
生き物。一方、わたしはあざとい。取材者という隠れ蓑をかぶってあざとくそこにいる。
どこかで一線を引きながら、モニター画面を見ているような
逃げ場をつくっている。ま、当りまえかもしれない。
そんなことを感じているうちに
ふらっと旅の途中に立ち寄ったというような子連れの夫婦が、
やってきて、詩の輪のなかに混じった。自分が迷わず、あ、こっちがわの人といよう、とか
思ってしまっていることにまたあざとさを感じる。
ざわざわとした心地よい時間がながれ、私はいつのまにか
「人生で3回、私は人に殺されかけた」という高田純次のようなおじさんの
話をインタビューすることになり
詩を書いた。
タイトルは「初恋」