PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
ときどき、ごくごく稀に
あ、神様なんだろうなこれはというような出逢いが
ある。覚えているのは、東日本大震災の日の
全身黒づくめのおばーさんが「ありgとう」といって
チョコレートをくれたあのときなのだけど。
今日も、きっとこれは、神様のおつかいなんだろうと思うのよ、
だれ?このおじいさん、って思うでしょう、ほとんどひとが。
このブログを読んでくださっているかたで、
もう、このおじいさんを認識している人は、きっと、うーん、万里子ぐらいだろうから。
朝の散歩。いつもの、とんぼりリバーウォーク。
外国からの観光客にまじって、シニア世代の方がベンチに座っていて、
「ん?」と二度見してしまいました。
「え?」・・・「あの・・・社長? ですよね?」
「おー、そうや」
「やっぱり。ご無沙汰しております。私、東といっしょにいる美香です」
「おおお、久しぶりやな 元気か。學も、げんきか?」
「はい。おかげさまで。學ちゃん、もっともっとでっかくなっています」
「そうか、太ったオオカミは俺はきらいや、ってゆうたんやけどな」
「はい、もう、その面影はありまえせんけど。仲良くやっています」
私が、26歳のころ。
學さんが20歳から30歳まで働いていたデザインプロダクションの社長です。
神戸とか阪神間に住んでいるひとなので、難波にいるなんてことは、まず、あり得ないひと。
もう会うこともなかったかもしれないひと。
「あのね、社長、あのね・・・」話しておきたいことがあった。
「そうか、わかった」
神様のおつかいのような気持ちだった。社長がそうかもしれないし、
社長にとってはわたしがそうだったかもしれないし、
偶然ではない気がして。とても、大切な、長い長い道のりのなかで
人と人がもういちど出会わなければならない人と人を結び合わせるような
縁を無理やりたぐりよせるような必然だった。
「必ず、逢いに行くから」
と社長はいった。ゴリラ社長は、昔からカッコイイ。
もう私とは、二度と逢うこともないかもしれないと思った。
なんか、涙が出てきた。うれし涙でも、かなし涙でもない、へんな涙。
あのひとは神様だ。