PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
おーい
自分がこの世から消えて
3年たったとき、こんなに人が集まるなんてことは想像できないな、
とかおもった。お葬式にはなんやかんや
大勢のひとがくるだろう。それでも、人の記憶は年々と薄まるのがふつう。
それでいい。
維新派の松本雄吉さんをしのぶ会、3回忌が行われて
出席させてもらった。
劇団の立ち上げ当時からのポスターやフライヤーが会場全体に
展示されていたのだけど
「わたしの知らない松本雄吉」が会場ぐるりの半分以上を占める。
え、私、ここからしか知らん・・・。
學さんがポスターで関わるようになったのがロマンスの時だから・・・
それでも20年以上は、関わらせてもらってるのだから・・・
会場には、松本さんをいろんな角度から知る人が集まる。その時代、その時代の
劇作家の姿を覚えている人が集う。
それでも私が知っている20年前ぐらいからの維新派で出逢った人たちの姿は
そんなに今日は多くないのかなと感じたけど
それぞれに子どもが出来ていたりして。会場を走り回っていたりして、
「松本さんの孫みたいなもんやで」と笑う。本当にそうだ。
そして、ゆみさんのことば。
一番長く、松本さんのそばにいた劇団女優。
最後の挨拶なんて、私にはつとまりません、とおもっていたけど
松本さんからの最後のキャスティングだとおもって引き受けることにしたのだ、と。
からっとした、笑いでいっぱいのスピーチ。こんなに長くいるのに
ほとんど覚えていない。ゆみさんらしい。
最期の最期、いよいよ山場かなというときに、松本さん、私今日から病院にとまるわあ、といった晩に亡くなったから、よっぽど嫌やったんやろな、と会場を沸かせる。
最後の最後にあれをやります・・・というので
ん?なんだろうと思っていたら、
ふいをつかれたように
身体いっぱいの声をふりしぼって
「おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい」
会場に言霊が走る。
この瞬間に大勢の人が
それぞれの、犬島やら、室生村やら、南港やら、台湾やら、東京やら、いろんな場所で行われた舞台をそこに見ただろう。
「のぉ 東やあ、あの月みてみ。
あれにはどんな舞台美術もかなわへん」
松本さん、學さんに出逢ってくれてありがとうございました。