PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
来週13日に開催予定の
静岡マチオモイ~オンライントークサロンの
リハーサルをみんなでした。
オンラインの移行期なので
みんな覚えたての技術でわちゃわちゃしながらやるのが
面白くてとってもいい。
私だって、「背景の設定したら、文字、反転すんじゃん、
だいじょうぶなん?」
「めっちゃ照明うまいこといかんくて、顔、まっくら、
もしくは、まっしろじゃーん」ってわちゃわちゃ。
「背景シンプルにしとかんと、髪の毛の切り抜かれ方がきもい」
とか・・・
ゲストメンバーそろって入室したときに
「あ、そうか・・・オンラインの場合、楽屋ってないんや。
お水とか、ハッピーターンとかキットカットとか、本番前のちょっとそわそわした時間を共有できるゲスト同士のはじめまして~みたいなん、画面ごしなんや~」とか。
そういうのが当りまえになってくんだろな、
でもいまはまだ、わちゃっとしてるところがたのしい。
本部側でも、
「ちょっとまってくださいね~」とか
「ここ、みなさんビデオオフにしてください。ミュートしてください」とか。
イヤホンとマイクが耳になじまなくて、左耳が超痛くなる、とか。
まあ、そういうことを
繰り返しながら、移行していくということなんだろうねえ。
ソーシャルディスタンス時代の
リモートコミュニケーション、
横文字はしんどいから、「想い合う」
マチオモイ、という概念を手に入れてからずっと
離れていてもできることを実践してきた私は
もしかしたら、ずーっと、リモートコミュニケーションの在り方を探ってきたのかもしれない。
思う⇒逢いに行きたくなる⇒逢えない時代⇒想い合う(そして、それを伝える)
より、今いる場所、足元にある世界を大切にすること。
が際立ってくる。
存在意義⇒クリエイターは表現すること。「想い」→形にすること。自分の在り方をていねいにさらって、次にいく準備をすること。
うーむ まだ、わちゃわちゃする。整理できない真夜中のあたまのなかの書き出し。
みつがずっと網戸のそばで涼んでいる。