PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
昔、母が、大好きだった神戸の叔父さんを亡くしたときに
どうしても逢いにいけない状況で
電話口でぽろぽろ泣きながら
「お母ちゃんは行かんでもええ。後悔はない」と
言い切ったことをがあり、それを鮮明に覚えていて、いつか自分に
なにかあったときにそういえる自分でありたいなとどこかでおもっていたんですが
今朝、3時30分ごろに最愛の娘 まめちゃんが息を引き取りました。
私の腕のなかで。息を3~4回吸って、手足をぐっと突っ張って、まめの決心が
きっとそこにあって、ここやな、という瞬間を穏やかに選び取ってゆきました。
それはとてもしずかな状況でふっと軽くなるというか。
しばらくして、お腹がすいてきて、冷蔵庫からハーゲンダッツを食べながら
まめの口にちょっとだけハーゲンダッツをつけてやって。
私はやりきったな、ぜんぜん、後悔がないぞ。と思えたのでした。
といいつつ、書きながらカッコつけたいい方すぎるなと思ったので補足すると
これ以上、弱っていく姿、やせていく姿を見るのが耐えられなかった。
痛み止めの注射を打つのも辛かった。血をみるのも胸が張り裂けそうになって
しんどかった。食べさせるときにちょこっとのぞく腫瘍のでかさを見るのがこわかった。
そういう、非常に自分主義的な都合もまじって、勝手やなと思いつつ
でもそれは正直な不安や恐怖の重なりからの解放、といってもいいのかもしれないけど。
いや、それよりも、まめがこれいじょうしんどくなることがないと思うほうが
やっぱり正解で。あれはひどい、メラノーマは怖すぎた。高悪性腫瘍ってなによ。なしよりのなしだろ、と何度もいってたけど、奇跡は起きないね。起きなかったね。
でも、最後らへんでまめにずっと伝えていたのは
「奇跡なんておきなくてぜんぜんいいから、楽でいよう」だった。楽な方を選ぼうだった。
まんちゃんはずっと吐きそうで食べるのがつらいといっているけど私はすごくお腹が減る。
すごく食べている気がする。しっかりしなきゃと思っているからかな。お母さんだもの。
いまは、すがすがしいほどやりきって
まめの尊厳が美しいままに犬生を閉じることができたほこりがあります。
まめに出会ってくれたみなさま
ありがとう。