PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
いつか必ず来ます。
私にもあなたにも。大切な人を失う時が。
そのときに、どれほど立っていられるかだと思うのです。
耐えられなくてあたりまえだと思っています。
人生でそれ以上につらいことはなく、そのほかはすべて
なんなく耐えられるだろうと思っているから、
だから、今日みたいな日に、ゆきみちゃんがどんな風に
自分でひとつひとつ選び取って、
けじめをつけるのだろうということをそばで、
見ておこうと思ったのです。お湯でなんどもなんども体を吹いて、
固くなっていくからだをマッサージして、
ちょっとだけあったかくなるんだけど、やっぱり、
いつもの白い毛のしたの肌の感触は冷たくて、いつものむうんの
けものっぽい匂いもそれは違っていて、
手のひらで、ほほをつつんで、顔を撫でたら、目があいてるみたいで、
生きているみたいだけど、やっぱり、そこにもう
温かさはなくなっていくことを実感するのです。
多くのものが、生き物に当然にあるべき生やら死やらをみないまま
生きていけるようになっています。
誰かが、そういう仕事をやってくれている人が見えないところでうまくやってくれて
いて、私たちが泣いている間にいろんなことが終わっていくのが
最近のお葬式です。お金を払えば、そんなことをしらないあいだにしてくれます。
手や靴をぐじゅぐじゅにしながら、スコップで土を掘りました。
手のひらで、むうんの頭やほほや、身体をなんども撫でて、おでこひっつけて、
この匂いを覚えておこうと思いました。葬儀屋さんがくるわけではないのです。
自分で決めて、自分で、埋葬するのです。
ゆきみちゃんはその瞬間をどうやって決めるのだろとずっと思っていて。
ずっとそばにいたいけど、でもあと10分、あと1分って思う。あと1秒って思う。そこを
よしって、どうやって決めちゃえるのだろうと思ってて。
1度目の時、雨が降ってきて、ああ、もうちょっと待って、ってなって
しばらくなでていると何人かむうんに逢いにきてくれる人がいて、お昼前ぐらいに
ぱーっと空から太陽が差してきて、「いいよ、今だよ」って空が
教えてくれた。ああ、こうやって、自然が開いてくれるんだ、ってことを教わる。
自然が迎え入れてくれる時間が、そこに寄り添って生きている人には、開くのだと思えた。
江崎さんが、それは土に還るだけっていってた話。
そう思える数々のこと。