PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
「その町やそこにいる人に対して
執着ではなく、愛着をもって、想うことができれば」
と、26歳になるIさんは話してくれました。
京都生まれ。学生時代に地域デザインを学んで、卒業後は3年間、大分県竹田氏に「地域おこし協力隊」として
はじめての一人暮らし。Iさんのマチオモイ帖には、その3年間に出逢ったささやかな日々の豊かさが綴られてあります。といっても出逢った刺激的な自分物描写があるわけではなく。紙面に出てくるのは、一人暮らしのお部屋に飾られた近所に咲いていた花やかわいい野草。山で摘みとって来た野いちごなど実のなるかわいいいのちを、写真とスケッチで綴っています。パティシエになりたいという夢も持っていたという彼女は、その町で育てられた苺で、ジャムをつくったり、苺のデコレーションケーキをつくったり。京都の暮らしのなかでは出会えなかった、たくさんの植物たちとのはじめてぐらしを本にしました。
大分県竹田市は日本の中でも移住者の多い地域で、Iさんのような地域おこし協力隊の人も20代から60代ぐらいまで幅広い年齢層で、50~60人ぐらいいて、有名大学や一流企業からの転身者からユーチューバー、竹細工などのアーティストなど多様。その人たちといるだけで京都でOLの道を歩くよりはずっとずっと豊かな考え方が身に着けられると感じていました。デザインとイラストレーションが得意なIさんは、いく先々でプロジェクトのロゴを創ったり、フライヤーをつくったり、移住者用のガイドブックをつくったり。町づくり関連のイベントをお手伝いするなど、日々、忙しくはたらいていましたが、毎日の「じぶん」に感謝するように、一人暮らしのお部屋にいつも花を飾ることを忘れませんでした。
彼女は話します。「やっぱり、どこかよそからきた私みたいな人は、無責任に一定期間その町にいて、なんかそこを荒らして帰るような、そう思われてるんじゃないかな、という劣等感みたいなものがどこかにあって。どうせ、そのうち、出ていくんでしょ?みたいな。で、私自身も、自分が暮らす方の立場になってみるとよそからきた人に対して、少しだけ、そういう感情も出てきたところがあって。そういう、うしろめたさとか、あって。でも、3年間はすっごく刺激的で、しあわせだったから。個人的な事情や、家族の事情で、竹田の町を離れなきゃいけなくなって、さみしくなるね~、いっちゃうのね~とかまわりのひとにいわれて。ちょっとマイナスの感情になってたとこもあるんですが、関西にいたときに観に行ったマチオモイ展を覚えてて、とても尊敬する大分のデザイナーさんがこの展覧会に関わっていらしたこともあって、竹田を想う、わたしのマチオモイ帖をつくってみようと思ったんです。それで、ちょっと楽になるというか。まだ、あと50年ぐらいは生きていられるだろうから、その私の人生のなかで10回ぐらいは、竹田にいけたらいいやん、って。だから、その町や、そこにいる人に対して、執着ではなくて、愛着をもって想っていればいいという気持ちに慣れました。いまは、ちょっと家族のそばにいてあげたいので。家族は年をとるので・・・私はわたしにしかできない、自分と、自分のまわりのことに時間をいまは使おうと。自分が元気でいることが、大事だって思えるようにいまはなっています」
だから、村上さんもいろいろ故郷のご両親のこと心配だと思うけど、元気でいることが大事ですよ、と
逆になぐさめてもらうというしあわせ感。
京都から、大分のみんなに愛を込めて。という、彼女のマチオモイ帖が、
はじめて読んだときよりもずっとずっと深く愛しいものに変わっています。