PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
目をそらす。
目をあわせる。
ちょっとこわい?
目をそらす。
目をあわせる。そして、
離れられなくなる。
きみの匂い。
なんていうときれいだけれど。匂いなんてもんじゃない。
毎日、きみのウンチのなかで、Wii FITのヨガやってるのもかなりきついぜ。
世の中はまだ2月だ。絶対的に寒い。絶対的に寒い中、朝から、家中の窓をあけて、喚起。
うまくウンチができていたら、歓喜の換気。なんて。
換気の歌。年末の第九を歌うころには、きみはどれぐらいわたしの家族になっているのか。
きのうの晩からおしっこができていなくて心配のまま、
3時に目覚ましをかけて、7時にまたおきてみるがおしっこの様子がない。
朝方、がたがたというのでほっといたのだけど、
みたら、毛布のうえにころんころんとうんちをしていた。ああ・・・朝から臭い。
換気をして、ヨガをするも、息をすうと臭い・・・とほほである。
部屋が臭くなるのはいただけない。私はとても犬の匂いがたちこめている状態が苦手なのだ。
ああ、このまま自分がなれてしまって、犬臭い家になっていくのかとおもうと微妙な気持ちである。
格闘しながらうんこをとりさらい、おしっこをさせようとするがだめ・・・
かなえがきて、マメをかわいがってくれてて、おりに戻したときに、目の前で感動的な新聞上のベストポイントでのおすわりおしっこ・・・やったぞ、まめ、よくやった。そこでおしっこすると感動だ。
えらいえらい、たくさんほめてやって。
そっから京都の嵐山にまちこたちとピクニック。外出するも、気になる。
お昼はまんちゃんがエサ当番、夜はがくさんがエサ当番。京都のせいもあるけど、
とにかくぐったり、つかれてしまった。
早く寝よう。
「子犬がきたのね。ええ名前です。まめがいちばん」
私のおかあちゃんからメールがきました。
動物を飼ったら美香にもやさしい心が身につくかしらといまだにいわれるってどうよ?
「まめがいちばん」とはいきなり溺愛しているわけではなく、
まめ=健康でいること、がいちばんですというダブルミーニングであり、
そういえばおかあちゃんの口癖だ。お正月にも、お盆にも、
雨が降っても、雪が降っても、ミカンを送ってきても、スイカが届いても、
お手紙のどこかに、
「まめですか?まめがいちばんですよ。まめならなんでもできるよ」と
そういえば書いてある。大きな病気もせずに、
ここまでしあわせに生きてこさせてもらって、
まめであることの有難さを痛感することは少なかったのだけど、
ここにきて「まめがいちばん」、というコトバの意味を噛み締めてみる。
特別なことはなにもなくても、嫌なことが続いても、
からだが元気なら、
なんとでもなるから。と。
寂しがっていないか、
恐がっていないか、
嫌がってはいないか、
のびのびと今日を生きているだろうか。
いつもきみを思っています。
いつも心配で
いつも願う。
わたしは犬が好きではなかった。
とくに室内でかわれた犬がどうも苦手だった。
甘やかされて育てられる感じがどうも金持ちの道楽っぽくて鼻についていた。
でも、とうとう、うちにも図らずもきみががやってきた。とうとうやってきてしまった。
わからん、本当になにをどうしてええかわからん。人間は、ってか、哺乳類はすごいですね。
神様すごいですね。本能で10ヶ月という時間を母になる覚悟として使っているのですから・・・
その覚悟もないままに、いきなり母となったわたしはとまどってばっかりです。
でも、まめ。どこにつれてっても、恥ずかしくない子になろう。
私が、嫌いだったワガママでお嬢様すぎる犬のようにならないようにできるといいね。
だから、わたしは、はじめはちょっと厳しくします。甘やかしません。
履き違えないようにしてくださいね。って・・・夜にみちこさんが電話をくれて、
はじめは「金魚をかうようにしなさい」と教えてくれた。
ちゃんとご主人様ってわかるようにしつけないといけないんだって。
外から帰ってきても、べたべたに甘やかすんではなくて、
自分を中心にすればいいんだって。うそ・・・それならできるかも。私のペースで育てていいんだ・・・。
ちょっと気が楽になったよ。金魚・・・そうなのかあ。
金魚ばちの金魚のように・・・それから、号令。家族の号令がいっしょでないと混乱するんだってね。
ダメは「NO」だ。今日はたくさん話したから、喉がちょっといたいよ。
私があなたのほうを向かなくなったら、すねて一人遊びをはじめたね。
でも、わりとすぐにひとりあそびできるようになってて。ちょっと安心だ。トイレだいじょうぶかな・・・
いまいち、そのコツがつかめない。
まて、
よし、
おすわり、
新米のおかあさんみたいにはらはら、どきどき。
わかんないことばっかで、あなたもわからないよね。でも、
やっと眠ったあなたの寝顔をゆっくり見る時間が、これからどんなに私の心を癒すでしょう。
まめ、
はじめてのおやすみなさいです。
雪の帰り道を、さくさくさく。
あれからずいぶん考えて、そして、明日もまたそわそわと同じきもちになったら、
まめ。こんどこそ、きみを抱っこしようと思ったのです。
で、朝。きらきらとした雪解けの晴れの日。
つっかえていた胸の石ころみたいなのがストン、と流れて
コロンとうんちになって出たみたいに、ストン、コロン。
きみを迎えに行きました。よし!
きみを抱っこしてみました。
ストン、コロン。なにが驚いたって、驚くほど軽かったのです。
藁の束を持ち上げるほどの、軽さ。
心臓の音。ガクガクとふるえる肢体。生あたたかい温度。はじめてのきみの匂い。
ああ、今日こそ。今日こそです。ほんとうに、うちに連れて帰るつもりです。
いっぱい考えて、いっぱい悩んで、いろんな人に相談もしたんです。
きみのいのち、の問題だから。きみの一生のことだから、ネ。
だけど、なんだかやっぱり楽しいことの方が多そうなので、よし!よし!よし!
覚悟を決めて、きみを抱っこ。
もういちどここにやってきたのが、縁。
もういちど逢いたくなったその思いが、縁。
えんはつながるエネルギー。
えんは想いの寄せあう、ちから。かけがえのないきみとの出会い。
えんは、縁。えんは、円。
きみとのえん。
まるくなって、ひかれあって、
世界でいちばんやわらかい、
えんになる。
えんになる。
まめ。
きみがこれから暮らすことになる町では、
きょう、11年ぶりに大雪が降りました。屋根が真っ白になって、とてもきれい。
ゆきやこんこん。あられやこんこん。
柴犬ってのはゆきのなかをきゃんきゃんと走るイメージ、日本昔話的に。
私は思ったよ。きっと、この雪の日が、きみとの大切な日になるだろうって。
猫はこたつでまるくなるような凍てつく寒い寒い寒い日だったけど、
ビニールの傘をさして、私、きみのところにいきました。
本当はその前の日も、その前の前の日も、こっそりと
きみに逢いにいったのだけどね。
今日はどうしても、なにがあっても、無性にきみを迎えにいかなきゃ、って
思ったんです。だって、雪が降ったのだから。
雪が降って、親友のマリちゃんが、ニューヨークという外国に旅立って、
「よし、私も!」って、なにか特別な決断をしようとしていたのかもしれないね。
このごろの私はどうも決断力がヨワッチイ。性根がしょぼい。朝寝坊。自堕落。
朝がほんとに駄目になった。なのに、雪。目覚めたら冷やんと雪、いちめんの雪で、
こんな小さな町の路地や窓辺にも、ほら、
まるでまつ毛に白銀のパウダアのせるみたいに、
均等に降ってくれるんだね、雪。ゆき。ユキ。きみに逢いに、ゆき。
必然とか偶然とかわからないけど、縁というエネルギーのことは、私、
なにかしら信じている節があるので。なんてうそ。縁なんていったらカッコいいけど、
単なるロマンチストの直感です。
「行こうよ~」っていったけど、おとうさんは寒いから嫌だって。仕方ない。
ひとりできみに逢いに、ゆき。
でもね、抱っこできなかった。
たくさんの雪をきしきしと踏みしめて、転ばないように歩いてきたのに、しょぼい私。
きみを目の前にしたら、きみと本当に出逢っていいのかわからなくなって。
これからの長い時間をいっしょに過ごしていける自信が
いい加減で、打算的で、突発的で、しょぼくて、あやふやな気がしてね。
こんな私、きみ、しあわせにできるのか?
「きみを一生しあわせにします!」。花婿みたいに、いえない.
どんな覚悟でいってんのよ、いえんのよ、ってね。不安。不安、未完成の、覚悟。
でも、きみがきたら、きっと雪の日に雪と遊びたくなる
雨の日に雨と遊びたくなる昔みたいなお日様のしたの私に出会えるような気がして。
いっぱい考えました。いっぱいいっぱい悩みました。
だけど、とうとう、きみを抱っこせずに帰ってきたしょぼい私です。