またしても、
この方、主役きどりです。
何をおもてか、
うっとり。
きょうは、いつもお散歩に連れて行ってくれる
やさしいかなえねえたんのお誕生日なのです。主役は、この
かなえねえたん、ですから。
まめさん、
きょうはかなえねえたんのそばに居ると
プレゼントがもらえることを
知る。
すきすき。
だいすきすき、
かなえねーたん。なんかちょーだい。
お誕生日おめでとう。
これからも、散歩つれてってね。
華やかな女子たちが
時代につかれたというようなことを
おっしゃったりしてて、
驚く。
晩ごはんはじいじが
美人の娘にお土産ってもらった仙台の牛タン。
味付けがグーだとじいじに褒められました。
やはり牛を食べると
野獣なわたし。
私はこのブログをじぶんの心の浄化のためと、
まめとみつの成長のために書いているもんだから、いったい
どれぐらいの方が読んでくださってるのか知らないままなんですが、
ときどきメールいただいて、
あ、そんな方まで読んでくださってるんだったら、
ちゃんとせな、とときどき思い返すのですが、またしばらくすると忘れて、やっぱり、
じぶんの心の浄化のために書いています。
世の中では、なにやら、つぶやきがとても流行っているようですが、
わたしの場合は、140文字なんかじゃ無理なんです。
って、そんなに書かない日も多いけど。
おばあさんやおじいさんとよくしゃべるんです、最近。
たくさん、たくさん、
彼も彼女らも伝えたいことをいっぱい抱えて、
男で、女で、人で、愛。
大事なものが、
じぶんよりももっと愛しい時間ってものにかわったもんだから、
まだ戸惑うこともあるけど、
方向性としてはあっちじゃなくって、
こっちであってるんだと思うのですよ、いまは。
すぐに不安になる
しょぼい感じなのでね、
書き留めておく。
お散歩にいったら、
けんちーちゃんとこまできてしもて、
こんにちわ。
あら、まめちゃん。
やあ、みつちゃん。
ようきた、おはいり。おはいり。
けんにーちゃんが、
コンクリートのかっこいいお部屋で
走ってもいいよって
いってくれてん。
また、いきたい。
おばあさんを訪ねて
歩きました。
おばあさんはとても日当たりのよい、
空堀商店街からすぐ近くの
おうちにいました。
遠い日の
メッセージを運んで、そして、
メッセージを受け取りました。
きょうは朝、A公園で、
去年まで4匹の柴犬をかっていたのよ、というおばちゃんに会った。
しばらく悲しくて柴犬にあうのがつらかったという。
でも、きょう、まめとみつと遊んでくれた。すごく遊んでくれた。
おばちゃんすごく嬉しそうで、ちょっと涙が出ていた。
みっちゃんが抱っこしてもらって、
「お名前は?」ときかれた。
「みつです」とこたえたら・・・・
「まあ、うちの子も、みつ、といったのよ。まあ、あなた、みつちゃんなの?」
たくさんたくさん、抱っこしてくれた。
たくさんたくさん、長生きしようと思った。
オー、アモーレ、
リーカ。
キレイナッタネー。
お父ちゃんのスイカの味を
どうにかこうにか受け継ぎたいと思っているのだけど、
きもちばかりで行動が遅れてしまう。
自分勝手に後回しにしてきたものに、未だそのうち手をつけようなんて
思っていると甘い。とっくに遅いことに気付くだけ。
それでも気付いたときが
いちばんの好機であるはずなんだけどね。
10年はかかるよ、と
手厳しく、母にいわれて、じぶんはいったい何がしたいんだと
甘っちょろさにいやんなる。
おもちゃのとりあいになって、
みつ激憤!
まめ撃沈!
せっかく大阪に帰ってきてパパに会えたのに、
なんだきみらは!
きょうは、
みかん山に
あがろう。
おじいちゃん家から、
海はまめねえちゃんなら走って、3秒でドボーン。
山はまめねえちゃんなら走って、30秒ぐらいだ。
いつもいちばん近い公園まで15分は歩くのに
ここはラクちんだ。
すぐに、ふわふわの大好きな土になる。
まめこねえちゃん、海でも、山でも、
世界征服きどり。
まめこねえは、
どこでも寝れる。すっかり、おじいちゃん家も、
わが家状態。
おじいちゃんは、
厳しいひとだけど、だんだん、
メロメロになってきちゃった。
「ん?みつ、
なんかゆうた?」
いえいえ、
いつも尊敬もうしあげております。
まめこねえさま。
おじいちゃんのハウスは、
さやえんどうや、スイカの赤ちゃんを育てる場所なんだけど、
何もつくってないハウスがひとつあって、
おじいちゃんがここで走っていいぞ、といってくれた。
ふかふかの土の畑で、
あたしとみつが走り回ると、霧がかかったぐらい、
もわ~っとなるねん。
みつなんか、白犬になってるよ、まいにち。
超たのしい。
超たのしすぎて・・・今日は、
えっと、実は調子にのりすぎて、
ママに怒られちゃった・・・・
錦帯橋、
なう。
お父ちゃん、
お母ちゃんと、
なう。
おばちゃんちの山に
八重椿が
みごと。
美しいまま、
ぼってん、ぼってん
落ちる。
ぼってん
ぼってん。
因島には、
やさしいおじいちゃんやおばあちゃんがいます。
すぐに、
なかよくなれちゃう。
これでもね、誰でもいいーってわけじゃないのよ。
そうそう、あーちゃんとひろくんと再会。
4人で
電車ごっこしながら海沿いの道を
歩きました。
すっかり、因島っ子のきぶんです。
でも、ちょっと
みつはホームシックみたいだ。
おばあちゃん、
おばあちゃん、
とっても、好き。
海は、
いったりきたり。
まめも、
いったりきたり。
砂と、
風と、
アオサと、
貝と、
日傘と、
ビーチサンダルと、
たくさんの
過去と今と遠くにいるみんなと
母や父、
みつのこと
パパのこと
海で
忘れる。
海で
考える。
海は、
海は、
あたしのふるさと。
砂堀りは、
まめこねーの方が断然うまい。
ちゃっちゃと掘って、
次の遊びをみつけるんだけど、
アタシはなんか、
まだ、
コツがつかまれへんねん。
爪が黒いからとか
関係ないやんなあ、
あるんかなあ。
ふつうに歩いてても、
まめこねえは爪がじょうずに削れるしやあ、
あたしは爪がけずれへんから
爪きりせなあかん。
ふう、
うん・・・なんとか自分なりに
納得いくとこまで
やれたと
思う。
なつかしい恋人の
住所をなぞって、
なんとわなしにパソコンで検索なぞするものではないです
ぞ。
ストリートビューなんてもので
家の盗撮まがいの写真なんかみて、
どうする?
遠くにあなたがいるだけで。
それで50年や100年しあわせでこれた、その、おばあさんの人生を、
おもう。
春の旅です。
パパはお留守番だそうで
ちょっとざんねん。
福山までかえったら
まゆみちゃんが
迎えに来てくれていました。
因島のドライブインは
美味しいものが
いっぱいで
たまらないっす。
アイ
ニージュゥ。
それだけで、いくらでも頑張れる
の。
もうすぐ、
じっちゃんに逢いに、
島にかえるべ。
みんなにスタミナをつけてもらおうと、
にんにくとしょうがとニラと
豆板醤とテンメンジャンとミンチとたけのこと男前豆腐たっぷりの
麻婆豆腐をつくったのに、
レシピをなんともてきとーに思い出しながらやったうえに、
鳥ガラスープのもとと
山椒をきらしていたため、
不評。
大好きな写真家
森さん。
まめがきもちを代弁するように
大歓迎してくれる。
みつも恥ずかしそうに
そばによっていく。
森さん、こんにちわ。はじめまして。
がくさんと
もりさんが
ひとつ約束を交わして、それはとても素敵でおおきな約束だったので、
証人として写真をとる。
プレゼンや~、
プレ前夜。
きょうは、
ペンキ塗りをがんばったので
みんなでごはん。
はやく、
はやくぅ。
雪の
朝のように、
いちめん、
まっ白に
なる
春。
半年がかりで創りあげる、
「神戸コレクション」。
その東京公演がきょう無事に終わったことで、
やっと「おつかれさま」、だ。
プロデューサー氏との信頼関係、
クライアントの女性たちの見事なまでの一生懸命さ、そして、
チームで動くことのかけがえのなさ、
そんなことを思う。
かなえの東京のともだちが駆けつけてくれて、
「よかったね」
「すごいじゃん」
と、いってくれて、
「すごいじゃん!」
朝からとてもいらいらしていて
そのテンションのまま、高津さんまで自転車を走らせたら、
見事に転んだ。何年ぶりかに、すねに傷ができた。
目が覚めたようなきぶんになって、キモチを切り替えて、インタビュー現場に向かう。
このごろ登場頻度の高い、作曲家・わたなべくん。
彼のピアノの前には、かってくださったガクさんの絵がある。
うれしくて写真。
2時間ほどはなして、
なんとなくすねの傷が乾いていた。
高津さんの梅はもう、見ごろをすぎたけど
いい匂い。
PS
あるひとによると、
私は、
ペテン師のままでいいらしい。
すごくひさしぶりに
レオン兄ちゃんと会う。
春になったし、
行ってみたいところが
いっぱい。
七年ぶりに
犬島に渡る。
毎週のようにかよっていた島だけど、
案外、忘れているもの。
ただ、
あの頃は、俊介といつもいっしょにいたなあ、と
いうようなことを思い出す。
3月9日は、サンキュの日なんだそうで。
ここんところの春の長雨に
まずはサンキュ。
きょうもまめとみつがげんきにいてくれることに
日々、サンキュ。
手塚治の漫画ブッダを読み終えたので、
ソクラテスさんじゃないけど、ある意味憑かれてしまってるふしもあり、
ごく自然に、カレーのなかのジャガイモにサンキュ、と
おもってしまったわたしは、
どないやねんろ。
明日は犬島。
瀬戸内海は雪だと母が言う。
どないやねんろ。
モリサワは「文字」の会社。
100年前におじいちゃんが発明した、写植の技術を
いま、孫たちの世代がおおきな愛をもって、
いまにつないでいる。
パソコンがこんなに進化したいまにも、人間の生きていくうえで
「文字」は消えない。
「文字」が消えないってことは、「つたえたいきもち」は、
消えないってこと。
残るってこと。
わたしの言葉は「文字」にのっかる。
何千年も伝え続いてきた、「文字」のうえに魂といっしょに
のっかってく。大きな海のうえで
わたしはたった一枚の葉っぱを躍らせているようなもの。
キモチと文字のあいだには
ずいぶん距離があるとおもっていたけど、距離をどうやったら、
埋められるかとコトバを練ってきたけれど、
文字の方がずいぶん、
大人だ。
押し入れを片付けていたら、
結婚式の二次会に着たドレス用のパニエが出てきた。
袋のなかにぎゅうぎゅうづめになってたのに、
取り出してみると、あら、ふわり。
退屈そうにしていたまめが、突然、
「なにそれ、かわいすぎ!!」・・・・・・・!!
「あのねえ、ママがずっと前に一度だけ着たことがある
ドレスのねえ、ふんわりさせるやつよ。
まめもふんわりする?」
あら、ふわり。
逢いたいな、と思えるタイミングと
逢えるタイミングが
風が葉っぱを運ぶみたいにして、くるくると合ったりすると
想像もつかないようなグータントークが
互いにつぎつぎ飛び出してきたりして、
話が尽きない、
土曜の午後。
花の金曜日、ということばを
カナエたちの世代がリアルタイムでつかうわけがないのに
カナエはまいしゅう、うれしそうに「花金ですね!なにしましょ?」とニコニコ笑う。
今週はそれぞれの
花金。
雨のあいまに、
走れ
走れ。
「ある意味、夢が叶ったよね」
「そうだね、夢が叶ったね」
新アトリエが完成に近づいてきて、
ひと息つきながら、ガクさんと、そう話している自分がいた。
ガクさんにとっての夢は、なにも大きな賞をとったり、
海外で個展を開いたりすることではなく、
きっと、シンプルに「好きな絵を描くための、環境が持続すること」、だ。
10年前。
私は、「ガクさんが、絵を描ける環境をつくるために」
前の会社をたたんで、188としてスタートした。
ずいぶん絵が描ける環境になったと思う。
そして、10年を経て、もっと絵が描ける環境をみんなで創った。
新しいスタートラインに立ったような
気がしている。
次なる東を支えるプロジェクトを立ち上げる。
また、何年かたってから
パリかベルリンか、ニューヨークかどっかのギャラリーで
ひと息つきながら、話せたらすてき。
「ある意味、夢が叶ったよね」
「そうだね、夢が叶ったね」
昔の仕事仲間と
やきとり屋でぐだぐたと話す。
ぐだぐたと話しながらも、
全員のなかにあの黄金期を花開かせた
時代のことはからだのあちこちが覚えているようで、
もういちど、あのかんじをやってみたいやん、っていう思いが
なんとはなしに広がる。それは妄想でもいいかもしれないのだけれど、
ぴったり息のあう、
完璧に心地のよい、パーフェクトなパートナーは
人生においてそう簡単にみつかるものでもなく、妄想を思いっきり
膨らませる中のひとつかふたつ、
本当になればいいと真剣に思えるものを
見つけ出せたらとおもう夜でした。
このところ、
毎週のように神戸にいっているので、
阪神なんば線ができたことはとてもありがたいのですが
久しぶりにJRにのってみたら
めっちゃ早いことに気付く。
きょうの神戸は、北野界隈。
ちょっとはやくついたので何年ぶりかの異人館通りを
歩いてみた。風見鶏の館って、
こんなんやっけ? とか。坂道の感じがなんとはなしに
モンマルトルの丘に似てるなあとか。
そういうことをおもっているうちに、ランチに立ち寄った
イタリアンで雨がふりだした。
少し、時間をつぶしてから、
レコーディングスタジオへ。
ていねいにものをつくることを忘れてないひとは
まだこんなにもいるよ、
と、嬉しくなる。