っていうかさぁ、
今日、英語のインタビューを何人もやってんけどさあ、
もちろん通訳の人もいてたんやけど、
actually,
actually,
を連発してんのんは、ってゆうか、ってゆうかさあ、
みたいなかんじで
あんまり意味がないんやてねえ。
意味なく
明日から使おう。
チエコが帰国した。
あのこらしく、イタリアに行ってもバタバタと
四六時中働いていたという。
この夏、ある意味ふたりして、別々のチャレンジをしていたから、
夏の終わりにどんな風なじぶんになってるか、
楽しみでいたのだけど。
とてもいい意味で、
なんにも変わっていなかったし、それでも、
積み重なっている気がしていた。
ビールがうまい。
年に1回、もう10年以上も続けている、
ワタシにとってライフワークのようなお仕事のインタビューが
今日ありました。
これ、仕事中のワタシです。
最近、チームというコトバを
仕事場でよく使っていることを実感する。
それだ、チームワークがよくなってきてるんだろうなあ。
チームワークってのは、昨日今日ではつくれないからなあ。
もう、10年以上もいっしょに同じプロジェクトで顔をあわせている他の会社の方も、
新しい試みをもってのぞむカメラマンも。
余白をたっぷりもって、
その余白から生まれるあったかい人間関係を積み重ねて、
つまり時間をかけて、
遠回りや、道草をくりかえしながら、同じ方向をみていられるような、
このチームの一員であることが、
今日のわたしの誇り。
みつ。どないしたん?
みつ。なんでもいうてみ。きいたるさかいにな。
みつ。あたしはおねえちゃん。あんたのたったひとりのねえちゃんやさかいにな。
みつ。あそぼか。おなかすいてないか。さみしいことないか。
みつ。おさんぽつれてったろか。
『広島に原爆を落とす日』という、
舞台を観にいく。
戦艦大和には、うちの祖父ちゃんの弟がのっており戦死した。
それは長い間、そして今も、
武勇伝として
墓参りのたびに孫たちに伝えられている。
16才の英雄は、
永遠に、
英雄。
と、されているけれども
ほんとのところはどうだったのかな。
英語がブームです。
まいにちチャロで勉強中。
あさのくんが
けっこんしたぜ。
21歳のちさとちゃんと
けっこんしたぜ。
いくつ違いだ。
たのむぜ。
ちさとちゃん。
音楽には
詳しくないのに、
音楽家の心に向き合うシゴトが多いです。
心に向き合うのだから、
だから、相手は、音楽家でも舞踏家でも農家でもいいのだけど、
縁あって、
ピアニストや指揮者や、オーケストラのメンバーの話を
日々聞いています。9月はそれがとくに多くなりそう。
縁あるのだから、
きっと、彼らのコトバは、今のわたしへの
メッセージなんだと想います。
見過ごさないように
キャッチしなきゃ。
まめの病院にいこうとおもって
久しぶりに堀江まで夜、散歩。
ちょっとなつかしいきもちになる。
まめの口元が
荒れているのが、なかなか治らなくて
それが心配で
心配で。
河口湖まで
とあるオーケストラの写真を撮影しに
いきました。
仕事のチームって、不思議なものでなろうとおもってなるものではなく、
なんとなく居心地のいい時間を
重ねていくうちに、育っていくものですね。
いつのまにか
5年も私のそばにいてくれるリカと、
10年も私のずっと先を走り続けてくれる佐渡さんの愛に包まれて、
旅なのにホームグランドみたいな
気持ちになる。
PS
河口湖にきてるよ、と母にメールしたら、
河口湖は新婚旅行でボートに乗った思い出の場所なのだと
返事がきてた。
海の色は、
私の場合、
エメラルドグリーン。
しずかに
たたえる
緑の海の潮のかおりの通う
窓辺。
ここがいちばん
うちから近い
砂浜。
うちと、隣の家のはるちゃんたちの
プライベート
ビーチ。
海の家も
パラソルもなんもないけど
お盆の、満潮の時間だけ
近所のこどもたちや
東京や大阪からきた従兄弟たちが
集まってくる。
まめも、
いっしょに
夏を泳ぐ。
おばあちゃん家はめっちゃ広い。
ドッグランにもなるし、迷路ごっこもできる。
お日様をあびたふかふかのおふとんは
レスリング場みたいで
眠るのなんてもったいないぜ。
ねえ、明日はどこの浜にいく?
ねえ、明日はどこの山にいく?
ねえ
ねえ
海のことを、
犬はなんだと思っているんだろうね。
シャワーが大嫌いなのに、
海が大好きなまめと、
シャワーは平気なのに、
海が恐いみつを連れて。
波は、
予測不可能な動きをするおもちゃだし、
砂は、
ほってもほってもなくならない宝の隠し場所。
海のことを、
犬は。
変わらずにいてくれて、
ほんまに
ほんまに
ありがとね、というような場所に
まめとみつが
連れてってくれる。
変わらずにいてくれて、
ありがとね、とおもうのは私の勝手な郷愁。
跡継ぎもなく、
建てかえることもあきらめた、
隙間だらけの
家。
それでもね。
きっと、誰かがどこかで覚えているよ。
家があなたを覚えているよ。
ぢぃはのう、
自分でこのごろわかるんじゃ。
もう長うはない。
人生の末路はわびしいのぉ。
おとうさんをちょっとでも助けようとおもって
畑へいくけど、もう、足がうごかん。
からだのいろんなところが、うごかんなっとる。
夜にのう、
心臓がきゅうっといとうなって、もう、このまましまいかのおと
思うことがあるんよ。
でも、またなおる。
いちばん気を許せる
美香さんだけにはいうとくで。
わかった。 ぢい。じゃ、ひとつの後悔もないように、
話したいことや伝えたいことがあったらぜんぶ
美香に言ってみて。
横に、なりたい。
ただいま。
心の底からリラックスできる場所というのは、
ひとつか、
ふたつぐらいで
いい。
瀬戸の内海
鏡に変えてよ
花で化粧する
花で化粧する
因島
よいとこらせ
よいこらせ
ほんに因島
よいこらせ
ここんところずっと
ストイックに続けていたことがあったのですが、一段落したので、
いちばん好きなことを
いちばんに解禁!
自由にどこにでも
飛んでいける翼はあるし、
おしゃべりばかりしてられる
相棒はいるし。
言うことなし!
ごはん、食べる?
食べる!
それだけでぜんぶ、わかる。
歩く速度を、
いつもの1/3ぐらいにしてみたら、
大阪の町はとうていついていけないスピードになる。
それでも、幾人か、
おばあさんなど似たようなスピードで
歩いている人もいて、
こんにちわ、と丁寧におじぎしてみる夕方。
ちゃんと
見て。
ちゃんと
見てて。
そっちじゃない。
ぜんぜんちがう。
コトバにならない、浮遊したままの
ありきたりで、
しょうもない、ありったけの、ちっぽけな、
こころ。
二匹
いるのだから、
他になにがなくても、
人間なんかあてにせずに、
遊びなさい。
オモチャもおやつもいらんでしょ。
なにもないから、
遊びをつくりだすのが、
子どものいちばんの才能なのだから。
カボチャって、
秋のイメージがあったけど、6月ごろから
母からの「野菜宅急便」にかならず入っているし、
今月も入っていたから、
夏か?と季節迷子。カボチャというものは、
硬いので、料理するまでが非常に億劫なのですね。
でもまあ、そうやっていても
カボチャが冷蔵庫にたまっていくばかりでは
場所をとってかないませんから、
先日から、かなえがプリンをつくってみたり、
私が冷たいスープにしてみたりして、この子たちのおやつなどを
カボチャの皮でつくってみたりもしてて、
きょうはカボチャのスコーンに、パウンドケーキまで
手を伸ばしました。
オーブンつけて、
湯銭とかして、炊飯器スイッチいれたりしたら、
そら、暑いわ。
あさの@しょーいち堂プロジェクトの舞台
『どくろ3』に、3年連続して、わがボス、わがジイジ、
GAKU AZUMA先生が出演している。
そして、かわいい友達、
ちーくん、かーくん、いあんくんも
勢いで出演することになった。勢いといっても、
その練習量はハンパなかったらしい。
他劇場のプロデューサーであるY氏も、
やさしく見守ってくれていた。
サイズ、という話を先日、矢沢永吉と糸井重里さんの「お金の話」という対談番組で
みたのだけれど、ガクさんという人は、
本当に、どんなサイズのものでも、そのサイズを最大限に楽しめる人だなあ、
やっぱり見習うべきものがたくさんあるなあ、と
帰り道におもう。
あさのくん。3年間、ほんまおつかれさん。
笑わせてもらいました!!!
I WAS BORN TO LOVE YOU!!
「ああやれんのう、こがあなつらい目に、なんで遭わにゃあいけんのかいのう」-。
65年前のこの日、ようやくにして生き永らえた被爆者、
そして非業の最期を迎えられた多くのみ霊と共に、あらためて
「こがあないびせえこたあ、ほかの誰にもあっちゃあいけん」
と決意を新たにする8月6日を迎えました。
広島の秋葉市長が、
ふるさとのことばで「平和宣言」をしていたから、
思わず、手をとめてNHKに釘付けになる。
こがあないびせえこたあ、
あっちゃいけん。
耳を疑うような懐かしいことば。死んだばあちゃんが、
本当にしゃべっているようだった。
もう、広島でも若い人たちは知らない方言なんじゃないのかなあ。
あれから65年。
8時15分。
たった1分間の黙祷を
忙しさに紛らわせたりしたく
ないよね。
※写真は、本日より東京シアターコクーンにて上演されている
つかこうへいさんの舞台『広島に原爆を落とす日』。宣伝美術はガクさんです。
興味がある方はぜひ。大阪公演もあります。
きょうはスペシャル。
みさねえちゃんと
たかよねえちゃんが散歩に連れてって
くれました。
医者ってひとは、
ベルトコンベアー状態で運ばれてくる患者を
どれぐらい看ることができるのだろうか。
町医者のない都会に住んでいる私にとって、
ちょっとした風邪薬や熱さまし、
痛み止めや抗生剤などをちょっともらいたいだけでも、
はじめての専門医を尋ねることになる。
ってなことで、近所の病院をさがしまくってたどり着いたのが
島之内にあるH外科。
場所がら、ここに運ばれてくる患者はきっと多種多様の背景を
抱えているだろうから、待合室を見てるだけでも、楽しい。
とはいえどこか懐かしい昭和の病院、という風情が残っており、
院長先生以下、数人の医師と、ベテラン看護師たちが、患者たちと
慣れ親しんだ風な口を利きながら、
診察が行われていく。ちょっぴり「アウェイ」気分だった私も、
先生や看護師さんたちと言葉をかわすうちに、
アウェイ感はふっとんだ。
コンピュータの画面に
患者の症状を打ち込むばかりで、ちっともこちらの顔を看ようとしない
医師が多い中で、
「明日も洗浄だけ、おいでや。午前中やったら、
僕が看たるさかいに!」
と、送り出してくれる先生がいてくれて
救われた。
思い出は永遠である。その、誰のものでもない
唯一無二の思い出を
一生のモチーフとして描き続けている
アーティスト山口ヒロミさんが、今日、先日購入させていただいた
銅版画を持って、うちにいらしてくださった。
南堀江のご自宅から、自転車でやってきて、汗を拭きながら、
まあ、このあたり私もお散歩コースよ、
本当にご近所さんよね、と笑う。
まめがいつものように大喜びで出迎えたあと、
たった1杯の冷たいお茶だけで、
気が付けば5時になるよ、というぐらい山口さんとの
会話が続いた。娘さんのこと、ご主人のこと、仕事のこと、
現代病のこと、田舎のこと、文章のこと、
夫婦を永らえさせるものについて・・・少し、人生の先を歩く
ヒロミさんの大らかな笑い声は、
今の私のおおきな支えになる。
私みたいな人生なんて、
めったなことではやってこないよ、大丈夫と、
背中を押される。
大丈夫。
きょうの風が
きょうのあなたを許すから。
そんな1日。
左手にちからが
はいりまへん。
問題です。
みつは、どこでしょう?