PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
はじめての因島、2日間たっぷり、
わたしの海を満喫してくれたけいちゃんが
フェリーにのって、
大阪に戻る日。
福井出身のけいちゃんは、
海がすぐそばにあることがとても新鮮だったようで
よく歩き、よく食べ、よく寝ました。
ほんまによく食べていました。
よく寝ていました。
こんどくるときは、りかやぜんくん、みさちゃん、
みんなに海を見せてあげようね。
来てくれて、
ありがとありがとありがとー。
まめは海の子。
どんどん波打ち際まで走って、
石ころを追いかける。
太陽の沈むギリギリのところまで
走ってこーい。
見えないところまでいって、いって、そして、
全力疾走でもどってこーい。
未知なる道を
たくさん見て、からだで恐さも覚えて、
強くなれ。
100万ドルの笑顔です。
が、
本当は海が恐くて、畑の方にできるだけ
「逃げている」の図。
因島です。
私のふるさとは、因島の重井町というところ。
きょうはこの町のシンボルの山である観音山で春のおまいりがありました。
重井町のひとがみんな山にのぼってきます。
きょうはご縁をいただいて、このイベントで
ふるさとの想いをあますとこなく???書いたノートを
配らせてもらいました。
題して「しげい帖」。
開会式で、少しだけみんなの前で
お話をさせてもらう場までつくっていただき、緊張しながらも、
大勢あつまった「重井人」のみなさんに
感謝を伝えることができました。
それぐらいきてたかなあ、500~600冊もっていって、
ぜんぶ配りきったから、それぐらい、それ以上はきてくださったと
思います。たまたま広島の方から遊びにきたカップルは
「しげい帖」をうれしそうに読んでくれて、
彼氏彼女で、「重井人検定」クイズをといてくれていました。
白滝山からは瀬戸の穏やかな海がよく見えます。
ふるさとの町がこんなに
やさしく初夏の光に包まれていることを
心から幸せに思うと同時に、
海のそばで、もう一度、あたらしい暮らしを立て直そうとしている
方たちのことを思い、場所や形はちがえど、
ふるさとを守ること、私自身もそこに
たたせてもらっている気持ちになりました。
これまで知らなかったけれども、
因島を盛り上げようといろんなイベントを企画している人たちが
たくさん、たくさんいて、
今回知り合いになれたこと、本当に嬉しい。
できるときに、できるだけ、ちょっとずつでも、
私も重井人のひとりとして、
お役に立てたらなあと思うのです。
しげい帖に協力してくださった、
KASSYさん!大好評でしたよ。ひでこばちゃんにも、
渡しておきました。本当にありがとう。
みつとまめと、なえたんと
いんのしまに帰ってきました。
今夜はとくべつに
星のきれいな夜です。
まめは、真っ暗な砂浜で世界征服にむちゅう。
みつは、相変わらずびびって海にいけません。
なえちゃんは、お風呂です。
なんでや・・・顔が痛い・・・
まぶたも真っ赤になってはれてしもた。
なんでや・・・・・・・
死というものは
なしくずしにヒトに訪れるものではなく
死が訪れたその最期のときの
何時かの瞬間を
ヒトは決断し、
選び取るのです。
だから
生きているあいだに
あなたが死ぬときのための決断力を
やしなっておきなさい
(藤原新也 メメント・モリ より)
私の最も好きな一節です。
ちゃんと生きなきゃ、
ちゃんと死ねない。
(チャロより)
夜、
スーちゃんの告別式の映像を見ながら、
ガクちんと目を真っ赤にして、涙。
数少ないミキちゃん派だったのに。
マメ、という名の
カメがいた。
この奥にひそんでいるカメもまいにち
マメ、と呼ばれているのね。
ちえひろの
喫茶展にて。
いろんな出発がある。
大なり。
小なり。
さよならのあとのたくさんの後悔とやりのこした何かを背負ったままの
出発もあれば、
根拠はなくとも希望にあふれた
自信でいっぱいの出発もある。
とにかく、
出発。
その決断こそが、あなたの新しいチカラに
なるのだと思うよ。
ひさしぶりに超キンチョーして、
へとへとになりました。でも、精いっぱい
やるだけのことはやったと思う。
足りなかったこともあると思う。でも、
ひとつひとつの判断をくりかえすなかで、ついてきてくれた
スタッフに感謝しながら、また、
一歩一歩、燃焼していかなきゃなと思います。
ごほうびに
ビールと卓球。
地味?
本日のノルマを明日に残して眠る時は
悪夢をみるんだよなあ・・・でも
寝よう。明日のあさ、きっとはっぴーなきもちで
もっかい向き合えるさ。
そういう日もあるさ。
ここのところずっと、
考え事が続いていて、朝方 夢のなかで
仕事ばかりしている。それがまあまあ的を得たりしてる内容で
起き掛けにおそろしくなることがある。
ちゃんと頭が休めてないのかな。
とはいえ。しっかり散歩もしているし、しっかり寝ているから
まあ問題はないのだけれど。焦っている証拠です。
焦ってもなにも解決しないのだから、
着実にいっしょうけんめい構築するだけです。
気というのは
配ったり、
使ったり、
持ったり、
揉んだり、
病んだり、
入れたり、
疲れたり、するよね。
でも、とても大切なこと。無視しちゃいけないし、
でも、とらわれすぎても自分が壊れる。
でも、妄想のしすぎだけはよくないね。たいてい、考えすぎだ。
話すにこしたことはないのに。
ラブアクチュアリーという
映画を見ました。
アクチュアリーというタンゴがすきなんですね、
実は。わたし。
アクチュアリーをさらっとつかいこなしたいというみょーな
憧れがあるんのですよ。
実は。それにラブがひっつくとそりゃ
すてきでしょう。
ラブアクチュアリー、
でも、実は。
字幕なしてみたら
さっぱりわからんくて日本語字幕でみました・・・とほほ。
まめのはじめての春は、
さくら絨毯であたりがいちめんピンクだったなあ、と
思いながら、高津さんの朝を歩きました。
足のわるい老犬ちゃんと、
とてもげんきな老犬ちゃんに会って、
げんきでいようぜ、と声を掛け合う。
まめとみつと、
何年も何年もさくらだね~って
散歩してよう。
気合を入れるために
キーマカレーをつくった。
来週末にひかえている、巨大プレゼンに
必勝するためだ。
愉しんでいるようにしか、
見えないだろうが、これは制作途中の
ほんの休憩ごはんなのだ。
あのねえ、ここ勝ちにいくよ。
なんてったってクライアントへの愛情を考えたら、
他と比べようってのが無理だろう。
と、さっきから
デザイン部ではあれやこれやの大詰めが
行われています。
明日もとうぜん、出勤。
まとまってなかったものが、今朝
いきなりまとまる。
どれだけ考え続けてるかってことだ。
本当に考え続けていたかとうかってことが重要だ。
頭が悪かろうが、苦手であろうが、足りなものがあるなら勉強しろ。
どうであろうが、
努力しろ。考えろ。
思考がてんで散らかっている
あせっているわけでもないはずなのに
まとまらないのはなんで ?
あれもこれもよくばろうとするからかしら
かっこつけようと見栄をはってんのかしら
できること できるときに できるだけ
でいいはずなのに 考えすぎててんで散らかっている
核心のところにちかづきもせずに
周辺をうろうろうろうろするばかり
なんだ こりゃ?
“L”の発音ができません。
それをガクさんに見つかって、夕飯の後
特訓しました。でも、半年前までは、「F」も「V」も
出来なかったのがなんとなくできるようになったし、
「TH」もちょっとは意識しているつもり。
ああ、でも発音まだまだだわ・・・
大阪市美にて、
歌川国芳の展覧会、内覧会レセプションwith 桜。
いやあ。あっぱれです。
猫に化かされたような、笑わせてもらったような
すかっとした気持ちになる
浮世絵でした。明るい。
日曜日の高津神社は
花見客でいっぱい。
今日はまめとみつにも、
わんばーぐをつくってお弁当にする。
ぜんは、
ハンバーガーをつくってもらってきた。
どこの子も、ハンバーグが大好き。
いつもの高津さんなのに
お弁当をもってみんなで出かけるだけで、
ちょっとスペシャルだ。
穏やかないちにちに、
感謝。
春という字は、
三人の日とかきます~♪
ふるっ。
SWITCH編集長の荒井氏の本を読みふけりながら、
西行きの快速にのって、
明石にさしかかったところで、ハッとする。
瀬戸の穏やかな海がみえる。
私の海がみえる。
真鋳モノ、と題した、伊勢田くんの展覧会in姫路にて、
ようやく自分のなかに
少しずつ、ふつふつとしたものが湧き出てくるのを感じる。
荒井氏の本と、それから、星野道夫さんのことばと、
藤原新也さんのなつかしいコトバと、
伊勢田くんのお守りのようなアクセサリー、
窓の桜。
エンターテインメントを生業にしている私たちが、
迷い、悩みながらも、
導き出したひとつひとつの答えのなかには、
ひとつの間違いなどなく、
たくさんたくさん、人のことを思って思って思った
結果。
神戸コレクション、プリュス。
開催できないかもしれないという危機もあったけど、
みんなで立ち止まらずに、
今日を迎えた。
雨が降ったけど、
桜は咲いた。
とても似合うと思います。
因島に帰りたくなったね。
菜の花のもとで、
とろりんちょ。
しいたけのお父さんが、
大好きになりました。
因島のお父さんとちょびっと、
性格が似ています。
しいたけの森に
いきました。
しいたけに、
変身できるかな。
走り続けている人のバトンを受け取ろうとしても、
なかなか受けとれるものではないらしく、
前をゆくその誰かが少しだけ、スピードを落としてくれたなら、
そのバトンは受けとりやすくなるのだという。
受け継ぐ、って
そういうこと、らしい。
だから、スピードを落とすことを恐がる必要はない。
それはそこになにかしらの意味があり、
あなたはもっとたくさんの支えを得られるのだから。
インドの紙芝居師のバトンを
ひろこちゃんは受け取りにいくんだって。
私は誰のバトンをいま、受けとろうとしていて、
誰にバトンを渡そうとしているんだろう。
ぽかぽか春の日、
家族そろって
予防注射の日。
なんといっても、
ベテラン先生のスピード注射力には
脱帽である。
泣き叫ぶヒマさえない。
高津神社のサクラ、
まめにとって4回目のサクラ。
みつにとって3回目のサクラ。
サクラ、サクラ、
1日たりとも無駄にしないで思いっきり、走って、笑って、
生きてけますように。
アーティスト高濱浩子が、
また旅にでるという。
また、というところに、どこか羨ましい気持ちが
自分のなかにぬぐえない。
自分の中にない部分がたくさんあって、憧れがあって、
変わりにたくさん体験してきてほしいなあ、と思って、
絵をかった。
絵の代金は、そのまま
旅の資金になる、という。
絵を売る。
絵を買う。
絵を売って生きる。
絵を買って、生き返る。
純粋なアーティストになるには
まだまだ私には修行が必要だけれども、
私は私のやり方で、
ふつふつと次の目論見が沸いてきたような
1日。
ちから、地から。
ちから、血から。
咲いてく、ちから。
裂いてく、ちから。
サクラは見上げるために、咲く。
今年も咲く。
すみません、という必要がこちらにはどうしてもないだろうと
いうときに すみませんと頭をさげる。
ごめんなさい、という必要がぜったいにあるだろうというときに、
どうしても、ごめんなさいがいえない。
なんじゃわしわ。
ふだん、ガクさんの絵の世界のなかで、遊廓だとか、太夫さんだとか
そういう世界をのぞきみしていたつもりだけど、
ホンモノの太夫さんに会ったのは今日がはじめて。
京都・島原という場所は、日本でいちばん古い廓町。
そのなかで現在も存在している御茶屋さんが、
「輪違屋」さん。で、如月太夫は、ここでしか会えない太夫さん。
舞妓さんや芸妓さんとちがって、太夫さんは、かなりの別格。
この世に3人しかいないらしい。
なのに、とても気さくな方で、トモダチになりたい!!と
思ってしまった。如月太夫を指名できるような、
旦那衆とこんどまた遊びにいきたい。
久しぶりのゆっくり金曜日は、
久しぶりの道頓堀留学なのです。
今日はなんと、5人もの英語のメンズ先生集団に遭遇。
犬好きのマーク(リチャードギア(似)
クリフハンガーで覚えるクリフ、
エイドリアン~と叫びながら覚えるエイドリアン、
ジャパニーズのヒロ、
チャイニーズ風カナディアンのジョン。
花見気分でビールまでいただいて、
生徒ひとりに、ホントの英語の先生5人、という贅沢な夜でした。
中村佳苗、
26才の誕生日だ。福井のおとうちゃん、おかあちゃん、
いい子に育っている・・・はずです。ご安心ください。
26才のとき、
何をしていたかといえば・・・
コピーライターの小さな会社から、中規模デザインプロダクションに移籍して、
その会社で、アズマガクという男に出会った年だ。
そのころはマウンテンバイクに凝っていて、大阪から四国まわりで
因島に戻ったこともある。住んでいたのは、上新庄で、
同居人は、たぶん、上の弟のこうじか、因島の友人こんちゃんだ。
シゴトの上では、てんで、いまの佳苗には叶わないレベルの
下っ端の下っ端だったような気がする。
タカラブネというケーキ屋さんのクリスマスやバレンタインデーのコピーや、
宝塚西武という百貨店のチラシをつくっていたっけ。
今日は、佳苗がお世話になっている神戸コレクションの
チームのみんなに声をかけて、打ち上げとあわせたお誕生日パーティだ。
26才。
運命の年になりますように。