PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
おとうさんが好きです。
おとうさんの股くぐりは、もっと好きです。
大阪で生まれた女やさかい。
東京にはようついていかん。
守るものができると、あと一歩、もう一歩、ひとは頑張れる気がします。
まっすぐに空をむいて
さく、さくら。
さくらの、ちから。
だから、
たから。
わたしの、たから。
あのひとはああゆうし。
このひとはああゆうし。
まったくもってどうだかなあというような夕方です。
おとうさんといっしょ。
まめ。
きょうわたしはコトバの神様のところにご挨拶にいきました。
3月の終わりの今日みたいなきもちのいい日に、コトバの神様がたいくつして
らっしゃるかと・・・いえいえ、桜を楽しみにしていらっしゃるかと
生玉さんにおまいりしました。
それから、例のあの話のことも報告しておかなきゃね、おかげさまです、って
お礼しなきゃね。今日ははりこんで、100円入れました。
そしてまた新しい絵馬に架け替えました。
わたしはいまとてもやわらかい。
あのひとがさかさまなのか。
わたしがさかさまなのか。
作家・藤原新也「メメントモリ」からの一節。
不条理なことに出くわしたとき、納得のいかない状況、意味のわからない叱咤、
そんなときにわたしは、このコトバを思い出すのです。
きっと、わたしもさかさまなのです。まさかのさかさま、まさかさま。
そんなにもあなたは檸檬を待っていた。
で、はじまる。高村光太郎の「智恵子抄」という詩集のなかに、
「檸檬哀歌」という一遍の詩があります。
そしてわたしは、これはもう確実に智恵子以上に、智恵子の何億倍もの勢いで
こんなにもあたしは檸檬を待っている、人なのです。
どうでもいいことなんですけど。私の檸檬好きは世界トップレベルかと
想うんですね。どうでしょう。反論ありますか?
わたしのふるさと、因島にはね、私のためにおじいちゃんが植えてくれた1本の
檸檬の木があるのです。大きな、大きな、黄色い太陽の実が
実ります。1年に、40こから50こぐらいしかとれないんですけど、
大きな、大きな、太陽の実はやわらかくて、信じられないと想いますが甘いんですよ。
皮がごっつくて、その皮のなかに蜜が入っています。
おじいちゃんが植えてくれて、おとうちゃんがしっかり実を実らせてくれているものです。
ねえ、まめ。
植物は勝手に育ちません。勝手に木に実がなるものではないのです。
人が手間をかけてつくりあげるものです。人がこもったものなのです。
なにかを育てる、ものをいわないなにかを育てる。祖父も父もそうやってものいわぬ植物を相手に
たくさんたくさんの会話をしてきた人なのかもしれませんね。
ものをいわぬ相手のことをどうやってわかるの? 毎日みてたら、わかるよ。
答えはたぶんシンプルなものでしょう。
ねえ、まめ。
まめは檸檬が好きですか。
わたしは檸檬が大好きです。おとうちゃんの檸檬が大好きです。
まめも好きになってくれるといいな。
まめ。
あなたには生まれたときに何人の兄弟がいましたか?
犬は子だくさんといいますから、きっと、5匹や6匹といった兄弟姉妹がいたことでしょう。
それぞれにどうしているかな。しあわせにしているかなあ。
あなたと同じように都会のどこかで暮らしているかしら。似てるかな?そっくりかな?
どこかで逢ったらわかるのかな。それともちっともわかんないかな。
わたしには二人の弟がいます。どちらも福岡に住んでいます。
上の弟こうちゃんとは顔がぜんぜん似ていません。下の弟ゆうちゃんとは顔が似ています。
小さい頃はケンカよくしたけど、いまもとっても仲良しです。
3回目のしつけ教室。
きょうは先生の愛犬はなちゃんにはじめに“渇!”入れていただき、きりっ!!
帰りがけに柴犬のおにいちゃん、レオン君に会いました。かっこいい!
まめ。
まめは畳が好きですか。わたしは畳が大好きです。
畳におこたの生活が大好きです。でも、まめがきたからおこたをとっぱらって
自慢の畳床暖房生活を満喫しようと思っておりましたが。
まあ、なんとまあ、畳を引っかき、くるくると元気いっぱいに尻尾つかみを繰り返すあなた。
おかげさまでころころクリーナーではおいつかず、
わたしのスウェットパンツまで粉々になった畳にやられておりますよ。
おかあちゃんがわたしに買ってくれたふわふわの毛布。これも、学さんにかなり占領されて
いたのですが、このところすっかりまめに占領されていますね。
きょうはサークルからお部屋をかけまわったあとでも、ちゃんとトイレで
うんこができて、おしっこもできるようになりました。
まめ。
いよいよ、サークルからの旅立ちですね。
お部屋は楽しいですか。
まめ。ただいま。
きょうは名古屋にいってきました。
生まれてはじめていった町でした。駅前に桜が咲いていたよ。1本だけ。
桜が咲くころには、
いっしょにお散歩ができるねえ。はじめての桜を
ずっとずっと覚えておこうね。
桜が咲くねえ。
変わり目のことを
「占いどき」っていうんだって。
なにかがゆっくりと変わろうとしているとき。
まめ。それはどんな運命が開かれようとしているんかねえ。
どんな運命が開かれても、もうすっかり、
わたしはあなたといっしょです。
まめ。
きょうは雨です。春の雨です。
雨を知っていますか。
そらからたくさんの水がポタポタ落ちてきます。
外にでると濡れるから、家でのんびりしようという人がちょっと増えます。
わたしも雨の日は家でのんびりしたいな、という人です。
きょうはどこにもいかなくていいよ、と
空がご褒美をくれたような気分になるのです。
なぜだと思いますか?
きっと、小さな頃、わたしのお母さんがそんな風にして雨の日を
喜んでいたんだと思うのです。
「みかちゃん、きょうは雨じゃねえ。雨が降ったねえ。
畑のスイカがおいしいおいしいって空のおっぱいを飲んでいるねえ。
カタツムリがおおおおお~って背伸びをしているねえ。気持ちいいんだねえ。おいしいんだねえ」
「みかちゃん、きょうは雨じゃねえ。お父ちゃんが畑を休める日じゃねえ。
もうちょっとだけ寝坊さんしようか。そしてきょうは、畑に行かんでええけえ、みかちゃんと
お家で遊ぼうね。うれしいねえ。きょうは雨の日。うれしいねえ」
きっと。
そんな風に育ったんだと思うのです。
誰に教わった覚えもないのに、雨の日はわたしのいい天気。
まめ。
あなたは剛毛が生えたり、
爪が太くなったり、
足が長くなったり、
いろんなことを覚えて大人になっていくけど、
わたしは我慢をしたり、
つくり笑いを覚えたり、
ぜんぶ飲み込んでみたりしながら、
大人になったつもりでいる。
それは違うよ、
と、あなたは言ってね。
あなただけは言ってね。
まめ。
きょうはあなたの誕生日です。といっても、
3ヶ月誕生日ですけどね。でも、にんげんでいうと3歳なんですって。
おめでとう。
島根県で生まれたあなたには、どんなお母さんがいたんでしょう。
どんな兄弟がいたんでしょう。
12月17日はどんな天気だったのでしょう。寒い日でしたか。雪はどうですか?
その頃、私たちはなにをしてたでしょう。
(ああ、学さんの出版記念パーティをしていた頃ですね)
それでそれで、島根県からどうやって、どんな人の手を渡って、
ここまでめぐり合わせてきたんでしょう。ああ、縁はつながるえねるぎぃ。そうは思っても、
縁は異なもの。縁は、有難きもの。
あのね、まめ。
わたしは兄弟が3人います。わたしがお姉ちゃんで、弟が二人です。
誕生日になると家族でいつもお決まりのバースデーソングを歌うんですよ。
幼稚園で習った歌なのです。お誕生日の子の頭をなでながら、歌うんですよ。
きょうはまめちゃんの誕生日。
あかちゃんになって生まれた日。
おとうさまもおかあさまも祝ってくださる
うれし、うれし♪
(・・・どこが誕生日やねん。)
まめ。
町を歩いていると、たくさんの人がにっこり笑って、
こんにちわ、って話しかけてくれるね。
まめといっしょに歩いてなかったら、出逢うこともなかった人がたくさんいることに
びっくりしたよ、今日は。まったく知らない世界でしたけど、
犬社会を通して、人間社会も捨てたもんじゃないな、って思いました。
だってみんな、とってもやさしい顔をして話しかけてくださるんですから。
こんなこと、ふだん、なかったですよ。
私がひとりでランニングしてても、誰とも話しませんからねえ。
今日は、はじめてお父さんといっしょに電車にのりました。
それからはじめて公園のベンチってものに座ってみました。
まめ。たくさんのお友だちが散歩をしているんですね。
まめはまだお散歩ができないから、ベンチの上で座っていましたら、まあ、ほんとうに
たくさんのお友だちが、まめ、こんにちわ、遊ぼうよ、って。
フレンチブルが2匹と、なんていうのか名前はしらないけど大きな大きなわんちゃんが
いっきにやってきたときはちょっとびびったよね。
「いきなり黒人に囲まれたみたいなもんやな」・・・・と、お父さんも笑っていました。
まめは、動じなかったけど、今度逢えたらいっしょに遊べるといいねえ。
もっともっと公園を走ってみたいね。
きょう、2回目のしつけ教室。2回目とあって、慣れのせいか暴れる。
トンネルくぐりがうまく出来た。
母に守られて、
父に守られて、
守られてきたそれをあたりまえにぬくぬくと、
そんなわたしがだれかを守る。
守ろうとする。
柵。そんな柵、噛み千切ってしまえと思うでしょう。
ルール、人間がきめたすべてのルール、そんなもの引き裂いてしまえと思うでしょう。
そんぐらいでええんちゃうかな、と
思うのですが。
ここはセンニチマエでして。
匂いとは官能的なもの。
たちまち、あの夏の日に戻れるし、
たちまち、あの冬の朝が訪れる。
すなわち。
匂いとは動物的なもの。
たちまち、あのひとを思うし、
たちまし、あのこの声が聴こえる。
匂いとは。匂いとは。ああ、匂いとは・・・・匂いって!!!!
ウンチまみれのあなたに、
ファブリーズを振りまきながら。
(まめ。このごろ、ウンチしすぎちゃう?)
まめ。
散歩に行こう。
あなたに見せたい景色がこのミナミのささくれた町には
本当になくて笑ってしまうのだけど、
それでも、さあ、散歩に行こう。
パチンコ屋のジャンジャンバリバリの音が聴こえるでしょう。
高速道路の車の音がきゅーんと聴こえるでしょう。
競馬のおっちゃんのぞろぞろ足音が聴こえるでしょう。
猫ビルの猫たちの大合唱、うぎゃあうぎゃあとなんとまあ賑やかで。
それでも人懐っこいミナミの住人たちは、
あなたをみるたび顔をゆるめて、
「おっちゃんが散歩つれてったろか」
「おばちゃんが1日あずかったろか」
まめ。どこに住むかではなく、どう住むか。です。
その町は、いつでも天国になるし、
地獄にもなる。
マチコと二度目のポラポラ撮影会。
あのとき、わたしのなにが悪かったのだろう。
あのとき、あなたのなにが見えてなかったのだろう。
あらゆる記憶をたどってかんがえてみるのですが、あなたの本当のきもちわかるはずもなく
わたしの本当のきもち伝えるすべもなく、
いつもせつなく微笑んで許してもらってばっかりで
なにも改善できないままに、また夜とか、朝が来るのだけれど、
やっぱり、
あのときはごめん。
かわいいものが苦手でした。
かわいいものをずっと避けてきました。
でも、かわいいものはかわいいよ、と万里子にいわれ、
がははははとわたしの豹変振りをみに智恵子がやってきて、
かわいいものが家にあるとこんなにもやさしい気持ちになるのかと
思える春のはじまりです。
まめ。
外にでかけよう。
まめ。
家に帰ろう。
(ただ今、“ハウス”の特訓中)
まめ。
朝になって、わたし、びっくりしました。
まめ。
大きくなったね。
藁束のように、ふわんと軽くて、ほわんとやわらかいあなたはもういなくて。
きのうのあなたはもういなくて。
きょうのあなたはあしたもういなくて。
私は思うのです。いまのいま、あなたのいまをどれだけ抱きしめられるのだろうと。
ねえ、きょうの空をみた?きょうの雲をみた?
明日のしんぱいばかりするけどそれは違う。今日の続きにしか、明日ってものはないのだから。
今日のための今日を生きよう。今日のための今日をあなたと。
ねえ、きょうの私をちゃんとみた?
幼稚園のころは、なおちゃん。
小学校のころは、しおりちゃん。
中学になったら、しょうちゃん
高校になったら、あまこ。
短大のときは、ゆっこ。
「みか。げんきしょんね?帰ってきたら、ちゃんとれんらくし~よ!!」
それぞれの時代に、ともだち。
それぞれの場所で、ともだち。
まめ。
あなたのはじめてのおともだちは12月17日生まれ。
同じ誕生日の「ひめ」ちゃん。
また、逢えるといいね。
プライドは。
捨てた方がいいですか?
折り曲げないほうがいいものだと思いますか?
ぜんぶ飲み込んだときに、窒息しそうになるぐらいなら、いっそはじめから
噛み付いてやった方がいいものかと
思ったりもするのです。
まめ。
きみはどない思う?
まめ。
毎日はじめてのことがたくさんある。
こんなにもはじめてのことがあるなんて思わなかったけど、
まめ、はじめては人生で一度きりです。
はじめてはたのしいね。はじめてはわくわくするね。はじめてをたくさん、
はじめてにたくさん、逢いに行こう。
きょう、はじめての「しつけ教室」。
はじめての・・・・・・・・・「いけめん先生」。
まめ。
誰かを育てる、おかあさんという女はすごいものですね。
小さい頃、わたしのおかあさんは農家の嫁でしたから、3人の子育てをしながら、
毎日畑仕事にでていたのね。学校から帰る時間にあわせて
家にもどってきてくれてはいたけど、それでもときどきいない日もあって、
そういうときはすごく寂しくて。でも、寂しくないふりをして、隣のおばちゃんのうちに、
弟のこうちゃんをつれて「なんか、遊びにきたよ」とかいって
まぎらわしていたっけ。隣のおばちゃんとおにいちゃんがよく遊んでくれていたなあ。
おかあさんという女は、あれは、本能なんですかね。
女という遺伝子がむかしむかしからやってきたことなんですかね。
そんな遺伝子みたいなものが私にもあるのだろうか。
寝顔をみながら。
春はうれしい。そして、あなたが元気ならうれしい。
春の匂いがしました。
こんな煤だらけのセンニチマエにも春はびょうどうに来てくれるのですね。
おとなりの木蓮の木が固い蕾をつけていたし、
おむかいの鉢植えにはピンクのチュウリップ。
ねえ、まめ。
春になったら、海にいこうね。
手をつないで海いこうね。
まめ。
きみはわたしの鏡なのかもしれないね。
ここのところ、ちょっと機嫌が悪い。きみの機嫌が悪いのではなく
わたしの機嫌が悪いのかもしれない。それを、敏感に感じ取っているのだったら、ごめん。
あなたにうつるきょうの私が澄んでいること。
あなたにうつるきょうの私がやさしい目をしていること。
そんなことなのかもしれないねえ。どうしたんだろう、わたしは。どうしたんだろう。わたしは。
「見返りを求めるから、あかんのちゃう?」と昔そういえば計らずもいわれたことがあった。
見返り?なにそれ。ってすごく反発した。しばらくして、見返りというコトバの意味をいろいろ考えた。
こんなに一生懸命にしているのに、とか、思っちゃだめなんだ。
与えっぱなしの愛。太陽のようにただ降りそそぐだけの、愛情。
そういえばお父ちゃんもよくおかあちゃんに言ってた。すべては自分のためにやってること。
自分がそうしたい、そうしたほうがいいと思うからやっちゃってること。でなけりゃ、やらなくていい。
「ほんでも!!」・・・ばあさんの介護につかれた母は泣き声で言う。
それでも 「わしのためになんて思うな。」
とお父ちゃんはぴしゃり。
自信のないままはじめての動物病院。
2回目のワクチン接種。
きみにはきみのルールがあって
ぼくにはぼくのルールがあるから、同じものさしではかっちゃダメだ。
なんどもそういわれてきたから、わかっちゃいるけど、わかろうとはしているけれど、
やっぱり、ぼくにはぼくのものさししかないのだから、どうやって
きみのこころを推し量ればいい?
ぜんぶ飲み込んで、ぜんぶ受け入れてみようと思ってやってはみたんだ。だけど、
かなりくだけそうになったよ、きょうわ。やっぱりわからない。
きみのルールがわからない。
ひらり。
ひらり。春のスカートをはいて。
ふわり。春のスカーフをまいて。
ひらりと次のあたしになってなきゃ、って今日は思いました。
まっさらな白いページをめくるみたいにね。
白いページにはもうたくさんのわくわくするコトバやらたくらみがかいてあるのです。
インクのしみた昔のページをいつまでもめくっていてはいけないね。
もうそんなことは昔ですよ、もうあたしはあたらしいですよ~って、
ひらりと次のあたしになってなきゃ。
まとわりつく匂い。消せない温度。
まめ。生きるエネルギーにあふれる
あなたとの一瞬一瞬は、今日を重ねるよろこびです。だけど、エネルギーにあふれる
きみをもてあましてくるしくもなる。うむ。毅然としたあたしでいなければ。
追いかけるとダメみたい。犬だって。
春があちこちで感じられます。
美香ちゃんが手伝ってくれたみかん畑。
みかんもほとんどなくなった3月、みかんをねらって、鳥たちがやってきます。
いのししもね。
みんな生きるのに必死なのね。
(おかあちゃんからの手紙、2月28日)
みんな生きるのに必死なのね。
ひたすら生きるのに。生きることに。ただ、生きるために。必死なのね。
まめ。
あなたと出会って思うことがあります。ただ、生きるために。そんな人間の基本みたいなことから、
わたしはどれだけ目をそむけて暮らしてきたのだろうって。
あなたがじょうずにおしっこができない、ウンチをどうしてもベッドでやっちゃう。
きれいに洗ったと思ったらまたおしっこをする。お腹が減る。噛み付く。そのうちまた、
ウンチをどうしてもベッドでしちゃう。繰り返し、繰り返し。
あなたとその繰り返しをしているあいまに、私は私のただ生きるための生活、ちょっと豊かな暮らしを
とりもどしている気がしています。まったくもって、クリエイティブな自分になれない・・・これは
よしあしかもしれませんが・・・。お母さんってこういうことなのかもしれない。
水を飲む。ベッドを噛む。哀しそうな声で鳴く。吠える。おしっこを失敗する。またウンチする。
繰り返し、繰り返し。
いのちをはぐくむ。
そんな大きな仕事をわたしはまだ知らずにいる。
あなたが眠るとき
わたしは歌う。
あなたがねむとき
わたしは物語のつづきを読む、
あなたが眠るとき
わたしはわたしの夢をみる。
それでもわたしの夢の中にまで、
あなたはかんたんに現れて、そして、
手ざわり、重み、温み、なつかしい匂い、その全部をもって、
ひとときも忘れさせない。
ああ、あながた眠るとき。
わたしにこんなにもしあわせなときは、ない。
まめ。
今日は、私のことをはなしてみよう。
きみは私の勝手でここに連れてこられたわけだけど、いきなりご主人様って。
それはあんまりでしょうし。できれば。好きになってほしいし。
私は海からきました。この部屋からは海が見えないけれど、
私は海からきました。この部屋から海は見えない、見えないけれども、
私の胸のココんところにはいつも海があります。
海は、海でも、私の海はとても穏やかな、やさしい内海なのですよ。
瀬戸内海っていいます。本州と四国と九州のまんなかを満たしている。
海ってね、つながってるんだって。たくさんのものを隔てている印象があるけど。
たっぷりと満ちたり、ゆらゆら引いたりしながら、
人をつなげてくれるのです。はじめに話した、縁といっしょだね。
その海に浮かんだ小さい、小さい島でねえ、私は生まれて、それから
ゴエモンっていう毛の長い犬を飼っていたことがあります。
ゴエモンと私は海で会いました。春の海でした。足元にくんくんと寄ってきました。
雨に濡れたのか、潮に流されそうになったのか、夜、連れて帰って、
お父さんに牛乳を飲ませてもらいました。牛乳、たっぷりぺろぺろと呑むから、
よしよし。かわいくてね。それから、お父さん、この子、飼ってもいいですか?
もう15年以上も前になくなっちゃったけど。ゴエモンとわたしは仲良しでした。
ゴエモンにしか言ってない秘密もたくさんありました。
いなくなったときは、弟のゆうじくんと二人で海にいってわんわん泣きました。思えば、
しあわせな犬だったと思います。海沿いの道を、どこまでも毎日のように散歩。
雲の飛行線、追いかけて。夕暮れのオレンヂ色の海は格別きれいでした。
おかあさんの「ごはんよ~」って声がどこからか聴こえてくるまで、
私たちは砂浜でかけっこしたり、じっと波音をきいていたり。ゴエモンはフナムシと戦うのが得意でしたから。なかなか、田舎の雑種はたくましいものです。
ちなみに初日は私、海に小さなゴエモンを投げて、洗いましたからね。洗礼よ、ってなもんで。まあ、こんなかんじで田舎ですから人も犬もおおらかでたくましいものです。
だから、まめ。いつかきみに海を見せたい。
ごめんね。いまはこんなにも小さな部屋の窓から、ビルしか、見えない。
でも、たくさん、たくさん、きみに私の海の話しをしよう。
大丈夫。海に投げたりしないよ(笑)。