ハニートーストを
食べる。
甘い。
甘い。
甘くていいじゃん、って
許してもらってるような、
1日。
風が舞う。
まめは風の子。
みつも風の子。
サクサクサクと、まめ。
タタタタタタタと、みつ。
おねえちゃんと妹ってものは、
どちらが我慢をたくさん覚えるのだろう。
でもさー、我慢から学んだたくさんのことは、あなたのやさしさ。
ってもんじゃ、
じゃないかな。
ハイタッチの練習をしています。
だいぶん、できるようになったので、じいじにお披露目です。
やったあ!!
あのひとがさかさまなのか。
わたしがさかさかなのか。
(メメントモリ/藤原新也)
25年間まったくもって色あせてないことばのひとつ。
本当にきみは自分のものさしでしかものをみることができないね、と
いわれるたびに。
メメント・モリが改変されて、出版された。
25年間読み告がれてきた本の、21世紀エディションだという。
賛否両論、あることぐらい承知のうえでの、改変なのだろう。
机のうえに銀色の表紙。前が金色で、こんどは銀色。文字も銀色。
光って読みにくい。神様のことばだからかな。
25年間、色あせない言葉と、
25年経って、どうしてもいま伝えなければならない言葉の両方が
銀色のサカナみたいに光っていた。
私も、あれから25年経ったのでずいぶんと、大人になったから
色あせない言葉と、
どうだかなあと思える言葉も出てきたりして、
でも、ああ、そういうことだったのね、と昔よりは死に近づいてきた感覚で
藤原新也さんの胸のうちに手をあてる。
25年経ったら・・・どうだろう。
たとえ、奇跡のように、まめの本の言葉がひとつも色あせなかったとしても、
確実にまめはいない。
どれだけ、今を見つめられるか。
どれだけ、今のわたしがわたしであり、きょうのまめを愛せるか。
毎日そんなことを思うようになって
それが生きている、という感覚かもしれないと
思ったりもして、
雨と、まめを、交互にみる。
黒門のまめです。
天下の台所「黒門市場」の入り口んところに
大きな看板が出来ました。わ~い。かっこいー。
きょう、できてるかな~ってパパとママといっしょに見に行ったら、
柴犬のりゅうくん、って子を昔かっていたというおばあちゃんになでなでされて、
あの看板の子か、元気でなあ、元気でなあ、といわれた。
あたしに似てるんだって、りゅうくん。
帰りがけに、おばあちゃんが、
1回だけ呼ばして、っていって、あたしのこと
「りゅうくん」
って、小さく呼んだ。
きょうは、いいふうふのひ、です。
我が家はいいふうふなのでしょーか。
ひさしぶりにマメラテスさんとミツトンさんに判定してもらいましょう。
マメラテス 「しかるに金曜日は0点であろう」
ミツトン 「いやしくも犬曜日は100点という見方もできなくはない」
マメラテス 「平日はどのようであるか」
ミツトン 「弁明の余地もあるまい」
金曜日です。
金曜日はいつもパパがいなくなる日で
それはそれで、ママといっしょにいつものんびりミナミの街を散歩するのです。
で、で、で、きょうはなんと、じいじが
「まめ、みつ、いくぞ!」って。
やったー。
リバーカフェにいったら、
「まめ、みつ、なんでも好きなものをたのめ!」
って!!じいじ、かっきー!!
まめです。たいへんです。
じいじに、あたらしい孫ができたらしくて
あたしたちは気が気じゃない。だれそれ、かわいいの?
じいじはそのこをたくさんかわいがる? みつよりもかわいいの?
パパやママもそのこに夢中になる? 散歩にもつれてく?
あたしたちはお留守番がふえる?
だいじょうぶ。
まめとみつ。りかちゃんに赤ちゃんが生まれたよ。
大きなおなかのなかの赤ちゃんと、あなたたちはもうお話をしていたでしょう。
その子が出てきたんだって、この世界に!
すぐにいっしょに遊べるようになるって。
お名前は、
漸(ぜん)くんです。
ノートに
まめと、みつと
かく。
難しい話を聞きながら
まめと、みつ。
まめと、みつ。
いまさらにも、ローカロリー食&万歩計に夢中なパパです。
なんでも夢中になるとドのつく最新設備を取り入れてしまうのがパパの
狂気じみたところらしく、今回の新兵器は、
DSの万歩計くん。ママも持たされているようですが、とにかく
なんでもすぐに落としたりなくしたりするママは
「自信ない~」
「絶対なくすう~」
それでも、朝のお散歩がパパの日課になって
ご機嫌。
性懲りもなく。
やってきました、月誕生日。いつまでやるか、つづくのか。
やってきました、ケーキの日。
○ヶ月です、といえる最後の1ヶ月となりました。
まだまだ赤ちゃん。
まだまだ子ども、な、はずなのに。
人生のなかで
名前のない時間なんてきっとわずか。
行くあてもないけど
果てもない。
ね。
「このごろの医者ちゅーもんは、
患者の目をみずに、
パソコンの画面みとんねんなあ・・・」
と、がっかりしてしもて、
症状的にはちゃうやろとおもったけど、整体のおーなる先生のところに
けっきょくいってしもた。
手をあてて、からだの悲鳴をきく。骨のいいぶんもきいてやる。
そしてこころのいいわけもきいて、
ほんで、ゆるしてやったり、うなずいてやること。
そーゆー時間を
手当て、というのではなかったか。
ちなみに、まめの本は立派に
待合室のところで、
この街のおばあさんや、中学生たちの
心を手当てしていた。
くろにい&げんちゃんにいが
ハワイにいくんだって。ほんでお見送りの会。
1日駅長ならぬ、
1日バーのまま。
夜遊びです。まだ、6ヶ月だとういうのに。
我輩は、ヒトである。
名前はまだ
ない。
満月には、
あの世とこの世を行き来する
光の道ができる。
恐くないように、迷わないように
きみをやさしく照らす
道ができる。
眩しっ!
ようこそ。
満月みたいにまんまるの
赤い、赤い、赤ちゃん。
どこの家の庭先にも菊の花がいっぱい咲いてるよ。
柿の木には、あかく熟れた柿がなっている。
お茶碗洗いながら、桟橋みると
今日の海は、波ひとつなく本当のどかです。
こんなやさしい海みてると気持ちがなごみます。
たくさんの人にのどかな海
じっくり眺めてほしいよ
(おかあちゃんからの手紙、11月12日)
パティシエの女の子は
5年間はたらいた川沿いのカフェを離れて、
あさって田舎にかえります。ふるさとは和歌山なんだって。
パティシエの女の子は、
先日、お店の仲間たちが開いてくれたお別れ会で、いちばん仲の良かった
友達から1冊の本をプレゼントされました。
タイトルは「ぼくらは簡単なことばで出来ている」
ひとつひとつのことばが友達から私へのプレゼントだった、と。
涙を見せてくれました。ことばたちが、私の手から離れて、誰かのものになって
誰かのことばになって、誰かに届いていく。輪っかみたいにつながっていく。
その女の子のいた、カフェの名はリバーカフェ。
まめが、まさかそのカフェの常連犬だったなんて知るよしもない彼女と
きょうは偶然にも出会うことができました。
縁は奇なもの。粋なもの。
そっちもがんばれ。
こっちもがんばる。
きょう、6歳の女の子がとちゅうで
がまんしぎれずに泣いた。
チョコレートを食べて
回復した。
大人になってもおんなじな気がする。
女の子はすごい。
女の子ってすばらしい。
きょうはみつの誕生日です。
誕生日といっても、月誕生日、されど6ヶ月の半年記念日です。
おめでとう~な1日なのです。朝から、久しぶりのしつけ教室。みんなにあえて
うれしいうれしい。
帰りに堀江を散歩して、みつの誕生日ケーキを買いに来ました。
「けんたのしっぽ」という犬用ケーキのお店です。こーゆーのがあるんですね、堀江は
わんわん天国なのです。で、きょうは、めずらしく
ママがお店のなかまで入れてくれて、どれがいい?って選ばせてくれました。
選択肢はあるけど、決定権はないようです。
でも、あれがいいな、と思っていたやつをパパが指差したからやった~!!
みつが生まれて6ヶ月です。犬界でいえば、レディです。ま、みつは、
まだまだですけどね。みつのやつがうちにやってきたのは、夏の日のお昼だったな。
朝からパパもママもでかけていっておそいな~とおもっていたら、
突然、じいじに抱っこされてニコニコしながらやってきたの。
「誰、あんた?」ってかんじ。しばらくは気に入らなかったな・・・いまも気に入らないとこはあるけど、
「誰、あんた?」ってずっと思ってた。
でもさあ、みつ。あんたは我慢強いよ。あんたはがんばりやさんだよ。
恥ずかしいからさあ、あんまりいわないけどさあ、
このごろ、みつのこと好きよ。
6ヶ月のお誕生日、おめでとう。
そして、あたしの妹になってくれてありがと。
きれいなひとは、よく笑う。
という、
ことばが好きです、と男の子にいわれた。
このことばを書いたとき、私は何を考えていたっけ。
確か、夏で、
確か、妙に浮かれてように思うけど
とても陽気にかいたんだっけ。
とても悲しくてかいたんだっけ。
いつかふるさとの本屋に、自分の本が並ぶのが夢のひとつだった。
おかあちゃんのちょっとした自慢になるかもしれん。おとうちゃんは控えめな人だから、
そういうことはあまり人にいうな、とたしなめるだろう。それでも、
静かによろこんでくれるにちがいない。
高校生の頃から、そう思っていたかもしれない。
きょう、高校の同級生・コマルくんから「土生の本屋にいってきたよ~」と写真が送られてきた。
私のためにたくさん写真をとって、送ってきてくれた。おばちゃんにも本を持ってもらって
撮ってくれたという。同級生にはもうひとり、将棋のマニア雑誌の編集長をしている人がいるとか。
そんな話もいっしょに添えてあった。しばらくあってないふるさとの友人たちが
いまどこで、どうしているか。島に帰っても海ばかりをみて、これといって友達とあわなく
なってから連絡が途絶えてしまった人もいるけど。でも、なにか、ひょんなことから
こうやって再会できたりするとうれしい。
たぶん、これはうちのおかあちゃんの字だ。
コピーになってるとこがすごい。
リバーカフェの店長さんが、話してくれました。
このあいだね、うちのパティシエがお店を辞めるお別れ会があったんですけど、
そこで偶然、他のスタッフがその子にまめちゃんの本をプレゼントしてたんですよ。
びっくりして、この子、うちの店によくくる柴犬やで!!!って。ほら、フライヤーもあるって見せたん
ですよ~、って。
そんな話をしてくれて。なんか、いろいろあってそれなりに落ち込んでいたここ数日でしたが、
店長さんの話を聞いて、それから、ああ、まめの本、がんばってくれてるわ、って
おもって。まめの本が私から離れて、自分の足で、いろんな人のところに歩いていって、
街のひとを勇気付けたり、元気づけたりしてるわ、って。やるやん、まめ。って思ってて。
大阪の町で偶然やら必然やらの交差する町のなかで、まめのことを知ってくれている人が確実に増えて
遊びに行ったらこうやって、声をかけてくださる。とてもうれしい。
きょうは朝からがんばって、それでとてもとても疲れてしまったので、
ごはんをつくる気力もなく、リバーかふぇでごはん。まめとみつとかなえと、ワイン。
いまのわたしにはほんとうにちょうどいい気持ちとサイズと心地よさ、
なのです。
特別な日も、そうでない日も、
こうやって。ここにくると、大阪も捨てたもんやないな、って思える。
ときどき都会にしんどくなるけど、ああ、わるないな、明日もやれるかも、って
思える場所なのです。いまのわたしにとって。
まめがくれた、
たくさんの出会い。こればっかりは、読者の方たちにも
わからない私ならではの醍醐味かも。
リバーカフェのみなさん。
冬になったら、キャンプ・カフェやろう。
そうだ、12月17日はまめの誕生日だ・・・
ああ、もうすぐ1歳になる。
このごろ早く寝ているので、
仕事が長引くと・・・・・・・・
眠たい。
ねえちゃんがおるけん、絶対ついとるけん。
大丈夫。
大丈夫。
まめです。
きょうは祝日というお休みらしいけど、ママたちはみんなお仕事をしていたので、
手伝いにいきました。ママのお仕事場はたのしいねん。
おもしろいひとがいっぱいくるから。
で、きょうはみんなよくがんばったからごはんにしよーって
オレンジ色のかわいいごはんがでてきました。あたしのはない、っぽい。
「まめは、メロンやで」
友人の華道家・片桐氏の個展にいったら、
あらまあなんと。枯葉のプラネタリウムに出逢ってしまいまして。
小さな屋根裏部屋みたいな場所に寝転んで、
手に取れる距離の秋空をながめるような、草むらに寝転んでいるような
そういう空間であって。ごろん、としたら、さわさわ、さくさくと枯葉の感触と音がして、
となりに寝転んだきみえちゃんは、光が降ってくるねといい
わたしは、汚れたきもちがすいあげられていくみたい、といいました。
どちらにしても、おおきな循環のなかに組み込んでいただいたような。
私はとてもつかれていたので、
診療台みたいに思えたから、それをそのまま片桐氏につたえて、
それから、ものをつくる人はものをつくる人どうし、強烈な光と影の循環するなかで、
順番順番に本業のことばや花の力をもって、
助け合えてるかんじもいいね、と話した。彼のスライドショーにみた約1年間の軌跡は、
まめとであった日々と重なり、多くのときを共有してきたことを思う。
おっと普通の日記になってしまった。
まめが一心不乱にみつの顔をなめている真夜中にて。
しょうこちゃんはトウキョウのおともだち。
しょうこちゃんは数年前の夏、奈良で展覧会をしていたときに
写真詩集「ぼくらは簡単なことばで出来ている」の原作となった詩、
ぼくらの唄=「ぼくらはかんたんなことばでできている」という作品を買ってくださった
方だ。あのころはガクさんの絵とコラボをした妖艶な作品だった。
それがいま、まめの本になっていて、こうやって、大阪にくるたびに犬好きのしょうこちゃんが
まめを可愛がってくれるようになるなんてね。あのとき、
誰が想像したでしょう。
しょうこちゃんと因島メロン。
まめもちょっとだけ、果汁をもらいました。
うまっ!!