木枯らしの中
ふたりならんであるくこと
押し合いへしあいあるくこと
土の中の春を探して
海。
月。
雨。
花。
風。
好きなもの。好きなもの。なつかしいもの。やさしいもの。リアルなもの。肉感的なもの。ありえること。夜の海はおそろしど。夜の雨はちべたいど。夜の花には食われるど。朝になったら知らん顔。べっぴんさんが微笑むど。デジカメがない。もっていったのにデジカメがない。どこかにいった。ふんがも。一時的に目の前から異次元にスライドしてしまう現象のことを、ふんがも、というらしい。私には、ふんがもおばけがよくあらわれる。めがねがない。めがねがない。とりいそぎ、デジカメがない。
かなえのポケットの中にふんがも。
異次元ポケットがあった。
子守歌を書くことになった。
好きなひとの寝顔と、
子どもの寝顔ではどちらが愛しいのだろう、
この世の女性たちは。
まりねえに逢った。
まりねえはいつもいそがしそーだけど、
抱っこしてくれるとき
やさしいねん。
晩ごはんは、
焼うどんとたこ焼き、
どっちがいいですかー?
どっちでもいいよー。
ありがたい。
漸くんの生まれたての体重と
同じ目方のお米が届いた。
重さであり、
軽さであり、
重さである。
食べるものはすべて
母の責任。
命の責任。
っなんて・・・・
いえないよな、私には。でも・・・
できることを
できるときに
できるだけ。
みつは内、
ヒート中はあまりお外で
遊べません。
まめは外。
ママとサッカーしました。
盛り上がる!
お赤飯を炊きました。
みつ、8ヶ月目にして
初潮。
雨ですね。
雨、好きでしたね。
金柑には、
みかんの葉っぱの匂いの味がするのです。
みかんの実ではなく、みかんの葉の匂い。その匂いを具現化したかのような、
成分がきっと皮に含まれていて、その、皮にひそむ成分が
ぷしゅっと口の中ではじけたときに、
私の鼻の奥のほうから、中学時代の通学路のわきに
生えるみかん木の匂いを思い出すから。
味ははんぶん以上が思い出だというひともいるけど、
わたしはどんなかんじて
金柑がたまラン好きなのです。
影になったり、
光になったり。
どっちがどっちというわけでもなく
いっしょにいる。
みつのが好成績!
まめこねえちゃん、がんばらなー。
雨のにちようび。
雨のにちようびでも、傘をさしたら
どこにでもいけます。
歩くほどに
ぐらぐらのバランスが
もどってくる。
ひとときも離れていたくないものが
この世にあるって
すげえ!
東京で、
まめの本、「ぼくらは簡単なことばで出来ている」の展覧会をしました。
きょうは最終日でしたので、
懐かしい友人や、憧れの女優さんや
ずっと応援してくれている友達たちが
たくさんかけつけてくださりました。
目に涙をためてくださる方や、
入院したお母様にあげるといって、本を買ってくださった方もいました。
東京という町であってもなくても、
空は見えるし、小さな花は咲いています。
今日この日を、一寸の後悔もないぐらいに、
生きられたら素敵だなあ、と思いながらも、
まだまだやなあ~とへこんだり、笑い飛ばしたり、うれしくなったり、
これがわたしたちの、
東京でした。
ポスターハリス・ギャラリーのみなさま。
見に来てくださったみなさま、ありがとうございました。
森さんと
ガクさん。
昔から大好きでたまらないおにいちゃん、ふたりと。
1日1レモネード。
フレッシュネスバーガーに通っています。
東京生活5日目。
まめええええ。
みつううううう。
従妹のかりん。
なあちゃんは、わたしの小さなおともだち。
お手紙を書くのがとっても好きなおんなのこ。バレエやパーカッションもやっています。
わたしはなあちゃんのおもしろい手紙を読むのが大好きで、読んだら、
すぐにお返事を書きたくなります。
いつもは年に一度、大阪の「サントリー1万人の第九」というコンサートで再会するのだけど
今年はとくべつ。お年玉をためて、
なあちゃん、まめの本を買いにきてくれました。
ありがとう。ちいさな親友、なあちゃん。
ポラロイド写真家のマチコと
アートディレクターのガクさんと、
携帯であいうえお作文をやっていると、
かなえが大阪からバスでやってきた。
友達をつれてやってきた。
1月の三連休。渋谷はバーゲンの嵐ですごいひと。
負けないように肉を食べる。
上記、かつらこ。
服が増えた。
東京でがんばっている。
出版記念展、いよいよ後半戦です。いま東京のウィークリーマンションにおります。
なかなか快適。ひさしぶりにひとりの時間。ちょっといろんなことをリセットしたいと思ってて、
熱いお風呂に入ろうと。午後1時からきょうもギャラリーに出勤です。
いい天気の冬の三連休。昔ならスキー場に迷わずいってたなあ、と思いながら、
お時間のある方、渋谷にショッピングなどいかれるかた、ぜひ、お越しください。
在廊日=1月10・11・12・13・14・15・16
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「ぼくらは簡単なことばで出来ている」
出版記念展 in ポスターハリスギャラリー(東京・渋谷)
東 學のアートディレクションと、村上美香のコトバ、ポラロイド写真作家・西真智子の力を結集させた柴犬まめの本『ぼくらは簡単なことばで出来ている』の出版記念展です。本には収まりきらなかった、生ポラロイド、生コピーの、匂いや温度をお伝えしたくてすべて手作業による展示を考えました。
■ 期間/~ 2009年 1月 16日(金)
■ 時間/13時~19時(最終日 17時まで)
■ 企画制作/ポスターハリス・カンパニー
■ 協力/PARCO出版
場所・アクセスなど ⇒ ポスターハリスギャラリー
ママが東京にいった。
因島のおばあちゃんちから帰ってきてやったーとおもったら、
また赤いスーツケースをもってった。
東京、がんばれ。
それぞれに忙しい。
それぞれに帰る場所が生まれて
それぞれにたいせつなひとはものが増えていく
いいよ、だいじょうぶ、
こっちはなんとでもなる、がんばりなさい。
後ろ髪をひかれながらも
結局、背中を押されるのは私のほうで、
船は島を離れていく。
「わしらは、ええカップルでした。
ほんでも、11歳も年上の女房とうまくやっていくのは
たいへんじゃったけど。
ほんでも、
互いにいっぺんも手をあげたことはなかったです。
おばあさんもようがんばったとほめてやりたいけど、
おばあさんが病院にはいってから、7年間の介護生活で、わしももう、
かなりくたびれとりました。われながらよう尽くしたと
自分でも自分をほめてやりたいと思ようります。
ふくぞうやの4代目として、みなさんのおかげで、この家を守りぬけたことを
誇らしく思っておりますので、これからも残された家族を
どうぞ、よろしくおねがいします」
通夜。
おじさんたちが昔話に花を咲かせて、
ビールを飲む。
美香の本はわしらにゃ、意味がさっぱりわからんど、と
容赦なくいってくださり笑いながら
思い出話に花が咲く。
家で、葬式が出来るってすばらしい。
同じ思いがこもる家で、生まれて、育ったひとたちが
時代こそちがえ、集まり、故人をしのぶ。
当たり前だったことが、ないからね、最近は。
それでも葬儀屋さんがあれこれ仕切ってくださるので、ずいぶんと
父母は楽にはなっている。昔は、近所のひとみんなが
集まってごはんのしたくをしていたのだから。
ヨシコさんはどんな方でしたか?とじいちゃんに話をききはじめた
葬儀屋さんの司会のひとに、
ばあちゃんはこんなひとでした、と私も話し始めたら、
いつのまにか、じゃあ、「弔辞を読んでくださいませんか?」
と指名されてしまい・・・
おっさんたちの昔話を聞きながら、わたしは、
バアにおくる最後の手紙を書いている。
まめ、みつ。ちゃんと寝てますか?
朝方、着信に父のなまえがでたので
こりゃきたな、とおもったら案の定、
バアが死んだ、というしらせ。
バアが死んだ、
バアが死んだ。
不思議としずかに受け止めていて、
おつかれさん、って思っています。
後悔はない、と
ジイは堂々と言えるだろし、
母も父も、きっとそうだとおもうから。
最後の大仕事。
父と母とじいちゃんの大仕事は、きちんと「家」で葬式をあげてやること。
明日は九州から、大阪から、広島から、
親戚が大勢あつまるだろうから。ひとつひとつを
心に残したいと思う、
いやじゃ、いやじゃ、もうちょっと家がええ。行きとうない行きとうない。
家がええ、もうちょっと家におらして。バアの正月。
それでもかえってこれてえかったね。
晴れじゃとええのう。
晴れじゃとええのお。
穏やかな海ならええね。バア。
わたしは、
何を歌おう。
ね、まめとみつ。
ママのおばあちゃんが亡くなりました。
因島に帰ります。
いいこにしててね.
2009年1月6日23時46分
村上ヨシコ 永眠。
まめこねえ帰ってきて
ギガントウレシス!! って古い?
ゆりは、
小学3年生になった。
ゆりが生まれた頃、私は島へ帰るたびに
小さなゆりを抱いて、海でたくさん、たくさん、海の話をした。
おかあちゃんもきっと私を抱いて、
たくさんたくさん海の話をしていただろうし。
ゆりは、
大きくなって、まめに出逢った。
ゆりはまめに
海のはなしをたくさんした。
高校生の頃、
喫茶店にいくんは不良じゃ、いわれたことがある。
派手目のクラスメイトはデートで喫茶店に行って、
クリームソーダを飲んだ、ときいたことがある。
不良じゃ、と思いながら、
かっこいいな、羨ましいなと憧れた。
インスタント以外のコーヒーを知らなくて、
バーモンドカレー甘口以外のカレーの味も知らなかった
時代のはなし。
きょう、その頃の匂いをたっぷり残した、
因島の土生商店街を母と訪ねた。
まめの本を置いてくださった本屋さんにご挨拶をして、
まめの本をブログで紹介してくださった、「喫茶店」のとびらをあけた。
名前はペーパームーン。まめをつれて、「こんにちわ」。
本当はクリームソーダを飲みたかったけど、
さすがに犬連れなので、玄関先でごあいさつ。
店内には島のさまざまな世代の仲間たちの写真がある。
艶のある忙しさ、活気みたいなものが感じられて、
なつかしいもの
たいせつなもの
忘れちゃいけないもの
単なる郷愁ではなく、ふるさとの町が
そこでパワフルに輝いているとこちらもうれしくなって、
負けてられんぞ、って嬉しくなったのです。
そっちもがんばれ。
こっちもがんばる。
なつかしいあなた。
きのう逢いましたのにもう
なつかしいあなた。
これは、「ぼくらは簡単なことばで出来ている」に
収録されているこのことば。
恋歌に思うだろうか、それとも、郷愁歌に思えるだろうか。
バアの部屋で、ジイを待つ。
ジイがバアの胸にサロンパスを貼り、
きょうもう髪を梳かしてやる。
ジイはまだか?
ジイはまだか?
他になにもすることがないバアは、
私になんども、あんたはどこからきたん?と聞く。
子供は何人おるんか?と聞く。
ジイはまだか?
ジイはまだか?
人生最後の恋歌なのだろうね、やはり。
なつかしいあなた。
ねえ、あなたはやくきてください。
さみしい。
さみしい。
バアが介護施設に帰る日。
父ちゃんはだっこ紐をバアにまいて、バアを背負う。
ジイの力ではもう背負えないようで、
父ちゃんがバアを背負う。
姥捨て山みたいだなあ、と私は見ている。
バアは、おしっこのにおいがする。まめとみつのおしっこにはなれたけど、
バアのおしっこのにおいは慣れなくて、
私は息を止めてしまう。悪いな、と思うけど、
私は息を止めてしまう。
ジイは、車にのせられたバアの髪をくしでといてやる。
「流行の髪型にしちゃろう」とバアの前髪を整える。
私も手伝う。バアの前髪をなでる。
私は歌う。瀬戸の花嫁を歌う。
バアが歌いだす。忘れていた二番の歌詞をすらすらと歌う。
私は歌う。海は広いなと歌う。
海は広いな、大きいな、海は広いな、大きいな。
海の見える部屋ならえかったね、バア。
介護のプロたちが微笑み、やさしく話し掛けてくれる
新しいホテルのような施設は、
姥捨て山のような島の最果てにある。
生まれること、そして、死ぬること。その両方が
見えないところで行われる。
私の鼻に、いつまでも
ツーんとした、バアのおしっこのにおいが残る。
じいちゃんのう、
こたつの上に本を置いて、
毎日のように眺めようるんじゃ。
よう、がんばったのう。
はい、「努力賞。」
いまだにくれるじいちゃんからのお年玉。
やっぱりまめに似ている、じいちゃんからのお年玉。
今年は「努力賞。」という名前が
ついていた。
新年あけましておめでとうざいます。
今年も「まめとみつ」をよろしくお願いします。