PROFILE/MIKA MURAKAMI@188《コピーライター》
瀬戸の海を産湯に、波を子守唄に育ち、大阪はミナミの繁華街・坂町に生息する女コピーライター。藤原新也の「人間は犬に喰われるほど自由だ」を敬愛し、「はて。ほんとうに人間は犬に喰われるほど自由か?」と日々思い巡らしながら、2008年2月よりひょんなことから柴犬まめと暮らす。はて。きみにほんとうに伝えたいコトバはなんだろう。そんな、きみとわたしのこれからブログ。
今日は窓君とあっちゃんが
現場にGOOOOOOで施工の最終の詰めを
してくれたので、
私はですくわあくに徹することができた。
男は外、
女は家、
って時代ではもうないけれど
それでも、家でしっかりと場を守るのは
悪くない。
母から送られてきた
獅子舞の写真がかわいい。
お父ちゃんの頭が
すかっと晴れますように。
晴れますように。
1月いっぱいは
傷ついたり、疲れたりした
自分をしっかり癒してあげる月間、
なんですって。冬ごもり。
そうやってエネルギーを蓄える時間なんやて。
ちなみに
私にインフルエンザA型をうつしたのは
この男です。
わざわざ東京からの土産です。
本調子ではないけどね、
ってことばが今日は気に入っている。
うーん、雨だからね、
という言い訳に似ている。
低血圧やねん、
といってみたいけどそれはちゃうから。
喘息やねん、
というのは重いしほんますぎるし
そうね、
本調子ではないけどね、
といって、いつもよりちょっと
自分に甘くする。
ランチ帰りのアラビア珈琲。
珍しく自分から「コーヒーのんでかえろか」と學さんにいって
「ほな、アラビアのシナモントーストくってかえろかー」
「そういえば、ちょっとまえに
賢吾君が、日本一うまい煮込みのある店にいってくるーゆうてたけど
そういうことをさらっという男の人って
もてるんよねー」
「どういうこっちゃ」
「あーだから、今みたいに、シナモントーストみたいなことを
さらっというような」
「いらんのかい」
「そういう意味ではなく。きゃー、シナモントースト~いう女子は
ようさんいてるよね。
で、さっきの、ふるえ、の話に戻るけど」
「おお」
「あ、カフェオーレで」
「オレ、アイスコーヒー」
「え、アイスなん、さむっ」
「さむない」
「で、ふるえ、やねん。」
「おお、なんか、ざわつく、ざわめきみたいなことに近いか?」
「ああ・・・小さいゆれ、てか」
「辻さんにな、このあいだある写真おくったら
なんか、ざわつく、ってLINEかえってきて。ほら」
「あ、うん、ざわつく。記憶ってか、
胸の底がちくんってくるなんかってか」
「近いか?」
「かもしれん」
「もういらんのか」
「どうぞ」
「美香ちゃんたべーや」
「うーーー、たべれかな」
「かえろ」
「かえろ。お、プリンうまそ」
「ここのプリンはな、まわりのところおはしでくるくるってはがして
ひっくりがえすやつ ぶるんってでてくる」
「ええねえ、でもさ、アメリカンのケーキはあれは手作りではないわ、
手作りゆてるけど。あ、あれ、姉妹でやってるんて」
「え、姉妹?明治軒のおばちゃん的な」
「もう妖怪やね、全員」
「あ、このかべ」
「ざわつくな」
「ふるえる」
「本調子ではないな」
「うん」
ほぼ1週間ぶりの出勤です。
垂直の移動距離にしたら、2メートルぐらいか。
たまっていた報告書をまとめているうちに
あっというまにもえどんがきて
気が付いたら6時前・・・おっとぉおおおお。
いんふるあがりの私のために
もえどんがいちごもってきてくれた。
「いちご」を探して、何けんかお店をまわってくれる
ってきいただけでうれしい。
す、す、す、すでに
第九が立ち上がっている。2019がはじまる。
ああ、まだ報告書も出せてないのに。
1週間ぶりのゆっくり散歩が
許されました。
高津公園の梅園にいくと、2~3本だけ花がきていて
「あーーーーー」
いつもここで、チカラをもらう。
大丈夫やからね、
と、春のチカラをもらう。
アイドル犬、撮影会。
親バカ。
勝ち誇ったいぬ。
安全地帯。
最後の引きこもりデーです。
おおさかなおみちゃんの
決勝戦をこんなにも楽しみに待つじぶんが
新しすぎる。
ずっと部屋にいると
ずっと犬といる。
なにもしない犬たちと
なにもしなくいる。
あそんであげるというよりはあそんでもらう
そばにいてもらう。
遠くの音に耳をすます。
「あ、だれかきたよ」
「あ、かえってきたよ」
耳がぴんとたって、目がきらっとなって
「わくっ」とココロがきらめく。
ほんまやったらいまごろ
デコポン畑にむかって帰省しているころ。
でも、全力でがまん。帰ったらころされるww
でもね、すごいね、
「ねえちゃんが帰られん」となると
弟たちが「よっしゃ」「任せとけ」。
そこに「いる」だけじゃなくて
そこに「いない」というのも、そこにだれかの役割が
生まれる。それはそれで、とても大切な役割。
今週は「想うだけ」。
犬はうつらんの?
いやーたぶん
咳とかしてないしー
げんきそーだし。
でも、たいくつそー
外に出たがりまくってる。
ぱぱのさんぽがまちどーしい。
明日はいけるかなあ。あさんぽ。
林檎を剥いてもらえる
というしあわせ。
病気のときにあるってなかなか、ないよね。
大人になってから。
佳苗どんに「りんご」ってLINEしたら
「あいよ」
世の中には、一人暮らしの備えのなかに
インフルエンザになったときのため用の食糧の備蓄方法とか
しるされているそー。病気のときに、防災とおなじような食事を
しなきゃいけないのね・・・
移動距離10メートルぐらいの
生活をして3日目。
からだはだいぶマシになってきたけど、外にいくと
「歩くテロリストだからね」といわれたので
自粛。明日は、犬の散歩にいこう。
しかし。今日はよく働いた。PC、スマホ、電話・・・
まあこれがありゃ、どこでもって世の中なわけです。
有難いことです。でも、ちょっと疲れた。
電波を遮断するのが
いちばんのデトックスなのかもしれないね、最近では。
とおもいつつ。
わかったことは、こうやって行動が制限されたり、
状況が悪くなったりしたら
案外、わたしはそこを楽しもうとする力が芽生える。
絶対に無駄にその状況にいない、ってことがわかる。
昨日はぶあつい本を2冊読んだのに
今日は、50通ぐらいのメールやメッセンジャーを返したりした。
きょうはもうやめよう。
昨年末に渡邊くんがくれた本
「ありがとうもごめんなさいもいらない 森の民と
暮らして人類学者が考えたこと」
を読み始めてみる。
読めるかな。
眼鏡が辛い。
ギャラリーに、
「築山万里子記念館」を作ってみました。
当時の写真。
まだ「紙焼き」をふつーにしていたころの写真には
ぴっかぴかの万里子や智恵子や
學さんやまんちゃんやぷーりーらが
いっぱいおるよ。
ふう。
パーティの終わりに、主宰者がとんずらするなんて
これまでになかった・・・
それぐらい、後半、ふらふらになって
もう誰とも話ができないよぉおという状態やって。
佳苗に小声で「上にあがってもええか?」ときいたら
「あと15分がまんせぇ」といわれたので
チーズケーキを出すところまではなんとか持ちこたえて
からのダウン・・・
でもま。なんも心配いらんな、と思える
メンバーやったからやろな。
まりこの50歳を
祝わせてもらってありがとう。
1月21日のブログにあげたかったけど・・・
都会では予定通りにものごとがいかないと
非常に困る。仕事においては、おカネをもらえないどころか
損害賠償ものになる。
でも、田舎ではどうだろう。
雪が降ったから、船が出ないよ。
バスが出たところだから、3時間このままだよ。
おじいさんの調子が悪いから、きょうは無理だよ。
日が暮れたからもう終わりだよ。
それに対して。
誰も怒らない。誰も傷つかない。
都会の時間でいきてんなあ~と思う、つくづく。
ぶあつい2冊の本の両方にでてきたことで
妙に引っかかっているコトバがある。
「ふるえ」
だ、なんのこっちゃだろうね。ぱっときいたら。
とうとう、美香ばーさんになっちまったのか?って思うよね。
その(1)
あなたはよく知っているわ。
それは「ふるえ」よ。世界はふるえているの。
そのふるえが岩であり、水であり、木であり、わたしなの。
いろんなバリエーションでふるえているの。
ふるえて共鳴しあっているの。
わかる。沈黙のなかに、ふるえがある。それを感じる。
(田口ランディ「キュア」302ページより」
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その(2)
何十年も生きてきたにもかかわらず
あるいはさまざまな体験をしてきたにもかかわらず、そういうピュアな態度を
自然に取れるというのは、なかなかできることではない。
そのためには本当の心のしなやかさが必要であり、
自分を戒める強さが必要だと思う。
りんと胸をはりつつ、ふるえる気持ちを抱いて生きる人。
僕の胸がキュンと動くのは、いつもそういう女性たちを見た時だ。
(岩崎俊一「幸福を見つめるコピー」より)
・・・・・・・・・・・・・・・・
その(3)
思い出してごらん。優しくて純粋な愛を。
ぼくは震えるこころであなたを想っている。
(「ぼくらは簡単なことばで出来ている」序文より)
・・・・・・・・・・・・・・・・
(3)はご存知。10年前に出版したまめの本です。自分の本の冒頭に選んだのは、
フランス人の詩人がかいた詩を引用した。
この「ふるえ」にある共通点があるのは間違いない気がしてるのだけれど
その奥をまた解明できずにいる。
この監禁期間にわたしはこれを考えることにしよう。
あ・・・・・
「いん・ふるえ・んざ」・・・・・・!!!
「幸福をみつめるコピー」
岩崎俊一(コピーライター)
これも2.5cmぐらいあるぶあつい本。
先日の万里子の誕生日のときにおもいだした1本のコピー。
「美しい50代が増えると日本は変わるとおもう」
1997年に書かれたもの。誰のコピーやろともって調べてみたら
たどり着いた本。あ、岩崎俊一さんかあ、ノーチェックやったなあ。
知ってるコピーがいっぱりある。亡くなってるんやー。
美しい50代~のところに書かれてある
岩崎さんのエッセイが秀逸。そのうち、かきうつします。
先日から読んでいる
田口ランディの「キュア」
スピリチュアルな視点と、現代医療、両方の視点から
がん患者に向き合ったある医者を主人公とした小説。
ランディさんのかくものは、もってかれそーでもってかれない
もってかれなさそで、何かをちゃんとちょうどいい温度でぐさりと残す
自分の考えの立ち位置みたいなものが
あ、このあたりかもしれない、ということを考える。
2.5㎝ぐらいのぶあついほん
おとなの初々しさ。
はじめて向き合うようなときめき。
なにが起こるかわからないふあん。
おそれ。
わからなさ。
正直さ。
圧、と反対のところにありそーな
軽やかさ。
朝、雨が降るのは気持ちいい。
そのまま家のなかでこそこそとしていたい。
すえっとのままで眼鏡で
ちょっとずつ明日の準備をしよう。
あれとこれとあれれとこれれと
ひとつずつやろう。そしてきょうのさいごに
ケーキを焼こう。
ママの目は
いつも何かを追っている。
ときどき、はっと気づいたようにこっちをむいて
頭を撫でてくれる。ちゅうしてあげると
ニコニコしてくれる。
でも、しばらくしたらまた何かを追っている。
パソコンの中に何があるの。
スマホのなかに何があるの。
「いつも大好き。いつも想ってる」
っていうけど、
何パーセントぐらいかな。
って思うけど、ま、いいですよ。
今日もいっしょに
寝てあげます。
可愛いものを可愛いというのが苦手でした。
しあわせよりちょっとぐらい
不幸な匂いのするものをカッコイイと勘違いしていました。
素直に、素直に、
いとしいものを愛しいと思えるこころが
あるのは幸せです。
なにも、その感情にふたをすることなく
いてください。
楽観主義者と悲観主義者
プラス思考とマイナス思考
よのなかにはいろんなタイプがありますが
自分の場合は、
「前向きな悲観主義者」なのだそう、
血液型でいうとRH− みたいな感じかもねと
いわれて。ふーむ。
おそれをもって
ふるえながらも
まえをむいて
いきる。
「犬を飼ってよかったとおもうことは
何だとおもうかね、マメラテス」
「それは思うにたくさんあるが、一番は
自分よりも優先するものができたということだと
思わないかね、ミツトン」
「なるほど。自分より優先するものか、
それはいい答えだ」
「ひとりでは生きていけないものを持つわけで、よく
観察しなければならないからね。」
マチオモイのおとーちゃん
清水さんと
相方のにほちゃんが
新しい巣をオープンさせた。
自分たちのちょっとだけ
先の先輩の
新しい姿がすてきすぎる。
とてもいい天気の土曜日。
やたらと万里子といっしょにいる時間が多い
最近をオモシロいなあと思いながら、
陽だまりのような冬の一日。土曜日の午後。
それでも水面下では
土曜日の朝から、
大きなお金の支出の決断をしてみたり
そういった経営業務などを
お互いからっと話し合いながらも、
まあ、それぐらいは怖くなくなったよね~と笑う。
根性はついてきた。
居心地のいい場所へ。
それぞれの、輝く場所へ。
もがきながらもまだまだ。その先へ。
かなえどんの「ただあそぶ」
ろむちゃんの「ゼロ思考」
このふたつが、最近みょうに入ってくる。
まわりにいてくれる友だちの
不思議なちから。そして、
期待もしないけど絶望もしない。前向きなゼロ思考。
ふらっとでいるってかんかくなのかもしれない。
パパってこんな人やったんかもな、と
いまおもった。
2019年の1月17日
わたしは部下のかなえちゃんに
弁当をつくってもらって食べようる。
うまい。その心まるごと嬉しくいとしい。
1995年の1月17日
わたしは弟のこうちゃんと
上新庄のあるマンションで「会社やすみかな」と
少しだけ呑気ながらテレビに映る地震速報に見入っていた。
会社は江戸堀にある學さんが社長をしていた
AZで、独立1年目の新しいオフィスには
お酒がたくさんあって、それが床に落ちて割れて
どぼどぼ。携帯電話もなかったから
会社に電話をしたら學さんが出て、
「けんちゃんと掃除をしてるから、今日は来なくていいよ」
しばらくしてまた電話。
「最悪のことがおこった。Sくんの家族が・・・」
そこからたくさんのことがおこった。
「神戸まで歩いて物資を届ける」みたいな人がたくさんいた。
ボランティアというコトバがまだ馴染みなかった。
その年の春にわたしは結婚式ってものを派手にした。
その年の暮れにわたしははじめて
「サントリー1万人の第九」というプロジェクトの仕事に関わる。
マーラーの復活、という曲が演奏された。
クラシックなんてよくわからないまま
CDのビジュアルを考えた。赤ちゃんのビジュアルで
「もういちど生まれる」をテーマに考えた。
あの頃から。
大事な仕事や友だちはそんなに多くかわっていない
のかもしれない。
かわいい妹や、やんちゃくれの弟たちが
わちゃわちゃと増えている。
かわいい二匹の犬とねー。
やさしさ
つめたさ
あたたかさ
むなしさ
さみしさ
ゆるさ
かわいらしさ
いとしさ
よわさ
つよさ
よくぶかさ
むずかしさ
あつさ
よくぶかさ
ちいささ
おおきさ
つらさ
おいしさ
おだやかさ
朝の1分間スピーチを続けています。
もう1年以上にはなるかなあ。
先日、「冬」をお題にしたところ、
みんながとてもロマンティックなことをいいはじめて
ろむくんの「冷たさ」というお題でのトーク
が、胸にきゅーんと残った。
新聞配達の話だったなあ。1分間スピーチは、
スタッフひとりひとりの小さな断片が
聴けてうれしい。飲みに行くよりある意味ずっと
そのひとの素が垣間見れて
すきな時間。あさ。
本めも
〇田口ランディ「キュア」
〇「テレビが報じない 精神科のこわい話」
音めも
〇ジルデコ8~Golden Ratio~
れもんざうるす。
よっぺちゃん。
YOU TUBEみれとるかの。
と、つぶやく。
というタイトルの
対談をします。
こっそりやります。21日にやります。
188でやります。今の自分たちがどこらへんに
いてどうしようとしているのかを
人前で言葉にして、「聞いてもらっておく」という
こっそり、ひっそり。な、場。
近しい人限定。
なにしゃべろかな。
まりさんが最近かった本、
みかさんがなぜか読み返している本、
ぜんぜんすごないけど
そうやって四半世紀ぐらいW 共に
歩いてきたふたりの記録。
年下女子限定。このブログをみて
きいてみたいと思ったひとは
うえるかむ。
てか、そんなひとはおらんやろ。
人生で大切なものは、本当に大切なものは多くない。
このてに実感できるわずかな大事を。
大事に。
光がとてもきれいな
冬の午後。
まめの輪郭がきれいに
太陽に照らされる。
どんな仕草しても
犬は美しい。
とても暖かい冬の日。
昨日はずっとある医療系の本を読んでいたので
なんだか世の中が疑問で
いっぱいになってきてしまっていたので
散歩が気持ちいい。空が青い。
打ち合わせをせねばならず。
とりあえず、
スパークリングワインを頼みました。
だって、祝日ですもの。
「わたしは楽観的だろうか、
逆だろうか」
と、マメテラスはきいた。
「悲観的であろう」
と、ミツトンはいう。
「なぜ、悲観的であろうと思うのか?」
と、きくと
「なんとかなるさ、と思うことができず
やはり非常に心配性であるからね。
ほら、やっぱりそうなった!ほらみてごらん。って
思うことがあるだろう」
と、ミツトンは自分のことを棚にあげていう。
「そういう君は、楽観的すぎやしないか」
と、ミツトンにいうと
「そうだ。わたしは楽観的だ。たいていのことは
なんとかなるからね」
マメテラスは思った。
「それは、誰かがなんとかしてきた結果ではないか」
しかし、マメテラスはいった。
「楽観的に考えることを私はこれから望むだろう。
悲観的になってしまうあれこれの事実におぼれそうになったばあい、
君、どうか、私を楽観的に導いてくれたまえ」
ミツトンはいった。
「わかった。私は君に
そう在ることにしようではないか」
とんどの高津さん。
ことしは、木村さんのライブいけへんかったなあ。
でもきょうはおだやかなきぶん。
心がすーっと。
高津さんにゆっくりゆく。
いしじみかんを
半紙で包んでみました。
これだけでも、可愛い。
昨年から続いている
ART GUSHの
メンバーと新年会。
新春恒例の
「おみくじ」をAGバージョンでつくってみました。
「〇〇が、あふれだす」
バロンちゃん、さすがっす。
女将みか。
おかみさま。かみさま。みかさま。
そういう
コトバのもとにある。
やくわり。
大阪芸大の女子たちがかわいい。
新春のオオサカ。
いつもいいなあ、とおもうミナミの新春。
えべっさんのホエ籠ぎょうれつ~
みんな忙しいのと、
風邪っぴきで出席率がひくいのですが
「ひとりでいってこよかな」
と、佳苗どんが代表してお参りしてくれました。
黒門市場の中川にも
タカシマヤの明治屋にも
ライフにも
中華料理専門スーパーにも
業務用スーパーにも
このごろとんとチリソースがない。
なので、半分あきらめながら
いった新しいなんばスカイオのイカリヤ。
さすがです。
ハインツのチリソース!!
大阪に帰ってきたら
大阪の人間関係、仕事関係がありますね。
長年お世話になっている
戎橋筋商店街の新年互例会。
いつもやさしく接してくださる
大寅かまぼこの社長、市川さんと。
年末から持ち越しの仕事を
再整理するための社内会議からの
外部プロデューサーとの電話会議。
ぶよぶよになった頭を
いっきに戻す。ふう。
どっちの自分がどっちなのか。
とはおもうけど。どっちの自分も自分をつくる。
10時過ぎの高速船にのって
出勤。まあ、昼出勤だけど。
一泊した
ともちゃんは
おかあちゃんのサポートで
買いものいったりいろいろ
助けてくれました。
その、ともちゃんを助けてくれるのが
重井の健児マーシー。
くっつく。
心細くなる。
いつもはけんかするのに
おでかけすると
家族だってわかる。
お互いの
おしりくっつけて
くっつく。
おかえり~
まゆみ。
おかえり~
ふくちゃん。
おかえり~
ひろきくん。
里帰りのついでに寄ってくれた
まゆみちゃん夫婦。
おかあちゃんとおとうちゃんのこと
心から心配してくれて
そして、ふくちゃんをおかあちゃんに紹介して
くれました。
このこたちが
帰ってこれる場所をつくれると
いいなあいいなあ。
フルメンバーが
そろうのは
本当に久しぶりかもしれない。
逢いたくなる仲間、
同級生でもないのに
そーんなに逢ってない仲でもないのに
逢いたくなる仲間。
すっかりおなじみになって
きたけど
土生のルリオン
こんな場所が
いんのしまにあることが奇跡だと
おもってたけど
今はごく日常の場になってきたね。
一夜あけて
満潮。
高速船がとおつて
荒々しくなる
白波。
空は曇天
映す海の色もそれに準じて
どんより。で
猫のこと。
遠くまでいったやろか。
と、大阪弁で考える
遠くってどこらへんじゃろ。
無理矢理
広島弁にいいなおす
朝になると
はやくさんぽいこーと
犬たちが騒ぎ出す。
忍法めくらましw
よくわからんでしょうが、
これが砂浜にかいた
みらいのかけら。うふ。
砂浜で猫が死んでいた
瀬戸内の美しい夕暮れに
口のまわりを少しだけ、血に染めた
白い横たわった固まりが
天に昇ろうとしている
閉じた目は
何を語るでもない。
幸せも無念もない。
ただの最期だ。
過大解釈はやめよう。
ただの最期に
私の一番好きな海に横たわる
自信のない詩人が
たまたま見つけて
見届ける
どうか、野犬たちにみつかる前に
満ち潮が
抱きかかえていつてくれますようにと
手をあせる
うちの犬が、
しばらく
そばにおるけん
1月末から
2月の頭からが
収穫時です。
今年はどうやって
やってこか
父と相談。
いまのところ順調です。
スタイルのよい
このはちゃんがいるだけで
島がロケ地のような空気になる。
重井の小さなともだちに
逢いに行く。
小さなともだちは
ちょっと大きくなってて
逢うとすこし照れる
昔みたいな無邪気さが
なつかしくもあるけれど
彼女たちもまた
私とおなじようにいつか
想う、この海のこと。
ここからの
重井がとても好き。
小さくて純粋でふるえるような
少女のきもち。
一夜あけてどーかな?と
思って
ヤバ兄にきいてみたら
問題なしだよー。
ふー。本当によかった。
特別なことはなくて、日々が穏やかに
すぎていくこと。
朝、こんなふうにまめがそばにいることの
しあわせ。
次なるステージにはいったもようです。
新しいふたりのペースに
戸惑うこともあるけれど
じっとみていようと思います。
生きているときにしか
できないことがたくさんあります。
いま感じること
不安に想うこと
でもまだまだできること
あきらめること
あきらめずに「いきるちから」にかえていくこと。
弟家族。
連れて帰ってきてよかった。
夕方、
テレビから地震速報・・・ふう、怖い。
熊本っていう。怖い。
ヤバ兄にすぐLINEしてみる。
ほどなく、
「結構、ゆれたー」と返事。だけど、
すぐに新年のあいさつに変わって、今年もよろしくねーと
〆てきた。少しほっとして、
ヤバ兄の大好きなみつの写真をおくったら
ピー君の写真がかえってきて。改めて。
こういうとき、
熊本のたのもしいメンバーは、
絶対に深刻にならない力で、場を和ませたり、
笑わせてくれたりする。
深刻になりすぎないことで、肩の力がすっと抜ける。
熊本市内の中継をみていると、
あーここ知ってる、とおったとこやーと思う。
じっとみてると大きな被害までは伝わってきてなくて、
ひび割れ、地割れなども、みれなくて
震度のわりにましなのだったらいいなあ、と願う。
慣れたとはおもわないけれど、
ドキドキした気持ちは変わらないけれど
ああ、こういうときはこうだな、というような経験値みたいな
ものはあって、あまり騒ぐことなく、じっと
なんともないといいなと想うだけ。
佐渡さんが第九のあとにいってた
「ふつうに眠れて、朝がきて、美味しくごはんがたべられる
そういう穏やかな日々が続きますように」
というコトバを思い出す。
因島から想う。
遠く離れた友だちのこと。
右のおじさん。
この方が、この写真の背景にある樹(さくら)を
8年前に植えたのだそう。
海の見える丘に。
「去年、やっときれいに咲いてのぉ
三原の方からも写真家がきて、
桜と海をとってくれて、そりゃあえかった」
と。話してくれる。
とても謙虚な方。自分の健康のために動いているだけだよ、と
笑う。こういう方が「徳を積んだひと」というんだろな。
「道をきれいにしておいたから、
歩いてみー」
そのとおり。枯れ木がきれいに整備されていて、美しい。
「いちじくの木も、10本ぐらいあるから
今度おくってあげるよ。住所おしえといて~」
毎年、配るのがたいへんなのだそう。
こうやって。しくしくと自分の体の続く限り
島が美しくなることを静かに想いながら、枯れ木を整備してくれている
人がいることを、知る人は少ない。また、そこに
尊さを感じる人も正直少ない。
りんくんと、そうくんに、
「おい、きみたち。おじいさんはのぉ、もうすぐ死ぬけえの、
この桜の木、いちじくの木も、ぜんぶあげるよー。」
なんてことをいって笑う。
とても素敵だとおもう。
私のヒミツの場所にしよう。
いつもの散歩コースは
途中から山側にあがる。
今日は、お母ちゃんもいっしょに歩くというから
4人+2匹でのあさんぽだ。
ここからみる重井の海がとても好き。
みんな目をつぶる
よしみちゃんたちが
つくってくれた晩ごはんはお好み焼。
りんくんも
そうくんも
ものすごお手伝いできる。すごいな。
すっかり
みつも
砂浜遊びがだいすき。
眺めている
時間。
わたしも犬になりたい。
久しぶりに
犬たちをつれて帰省しました。
こうじたちと
逢う時間がまるでないので
尾道で集合!
大好きな音楽ききながら、
新幹線に乗り込む。
ちょっと混んでるからね、きょうは、
通路のところに座り込んで
バックパッカー気分。
なにもしない。
ってことが
まあまあにがて。
いただきます。
シンプルにしたつもりでも
なかなかの
量です。
こうやどうふとか
こいもとか
そういったものを
シンプルに炊きたいけどな・・・
五目なます。
毎年かならずつくるやつ。
新年は枚岡神社。
人混み、
あかん。
日の入りに
天使のはしごがきれいに見えて。
考えてみれば
學さんの絵はずっと「天妖」だ。
そういう意味で意識したことはなかったけど
天の妖気。
そして、私は、天の網。
この「網」がどんな意味をもって私に新しい
景色を見せることになるのか
とても楽しみだ。
おへそのしたのたんでんから、頭の渦をつきぬけて
天にまっすぐのびていくかんじ。
背筋がのびる。ごちゃごちゃした心配事をふっきって
天にすっと手をのばす。
まだまだ私は「降りてくる」ほど鍛錬できてないから
迷わず、天に手をのばす。
つま先立ちでのばす。ジャンプする。
自分の内なる声よりも
もうちょっと広いそらの声。空(くう)の声。
みつちゃんの
大好きな
場所。
ぴちゃぴちゃ
ちゅめたい。
でも、勇気。元気。やる気。
ぴちゃぴちゃ。